フェニックスの日記 - 『闘病ログ』 ~ 病気に関するブログ集めました ~

1週間前に更新 / 52件  
フェニックスの日記

「フェニックスの日記」のカバー画像

年齢 / 性別

40歳 / 男性

闘病期間

0歳~

病名

両大血管右室始起症
肺動脈狭窄
大血管転位
発作性上室性頻拍
心房粗細動
洞機能不全症群
蛋白漏出性胃腸症

ブログの説明

成人先天性心疾患(両大血管右室起始)で、不惑の歳にフォンタン手術・TCPCコンバージョンを受けたフェニックスの日記です。

ブログのURL

http://ameblo.jp/fenix1976

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TCPC手術から丸9ヶ月

どうも、フェニックスです。
 
今日でTCPC手術から丸9ヶ月が経ちました。
 
12/22はJ病院の外来だったのですが、主治医から術後順調でいい状態だと診察いただきました。血液検査は、ヘモグロビン(鉄分)、タンパク質(総タンパク・アルブミン)、γGTPなど全体的に良好で、以前は80~90あったBNP(心臓の調子が解るホルモン)は20台まで下がっていました。
 
まだ無理をしない生活を続けていて、毎日7~8時間の睡眠をとっていますし、仕事でも手術前だったら「あとひと踏ん張り」していたような状況でも今は早めの退社を優先しています。そして、好きなワインも我慢しています。
 
主治医からは、年月が経てばもっと身体が動くようになると思うので、回復は年単位で捉えるようにと言われました。
 
「もう9ヶ月」なのか、「まだ9ヶ月」なのか、平日夜や週末にダラダラ過ごすことが身体のために必要なことなのか、だた怠けているだけなのか・・・正直もどかしさを感じる時もあります。
 
でも医師や医療スタッフ、そして家族のおかげでせっかく今まで順調に回復できたので、この冬は無理しないことを優先して過ごしたいと思います。
 
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12231843896.html

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ペースメーカー抜去手術は短い入院でした

どうも、フェニックスです。

ペースメーカーとリード線の抜去手術は3泊4日のあっという間の入院期間で、昨日退院しました。

14日  入院、採血・レントゲン検査
15日  手術
16日  レントゲン検査
17日  退院


循環器小児科の主治医の元で入院したのですが、循環器小児病棟のベッドが空いていなかったようで、循環器内科病棟への入院でした。

初日は2階大部屋に入院しました。大部屋は室料がかからないのでよかったです。しかし昔ながらの雰囲気が残る病室です…

「ペースメーカー抜去手術は短い入院でした」の添付画像(1)


手術後は4階個室に移動になりました。ただし、大部屋が埋まっていたために病院都合での個室移動なので、室料はかかりませんでした。ラッキーです‼︎

「ペースメーカー抜去手術は短い入院でした」の添付画像(2)


食事は、病院食にしては味が濃く感じます。量は少なかったので、結構間食してしまいました。

「ペースメーカー抜去手術は短い入院でした」の添付画像(3)


むかしJ病院でカテーテルやペースメーカー埋め込み手術を受けた時には一週間くらい入院して、比較的長めの入院期間だった記憶があります。
個人的な感覚ですが、今回はベッドの埋まり状況もあり、できるだけ入院期間をできるだけ短くした気がします。DPC導入の影響もあるのかもしれません。

患者にとっても長く入院しても体力は落ちてしまうし気分も晴れないので、入院が短く済むことはいいことだと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12229663678.html

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ペースメーカーとリード線の抜去

どうも、フェニックスです。
ご無沙汰です。久しぶりのブログです。

ペースメーカーとリード線抜去手術のため、おとといからJ病院に入院しています。そして昨日、手術を受けました。

ペースメーカー本体は問題なく取り出せました。リード線もワイヤー(リード線の中の電線)は全て抜去できたとのことです。
チューブ(リード線の周りを覆う皮膜)は、TCPC手術で血管をつなぎ直した時に一緒に縫い合わせた部分があったようで、そこだけは取り出せず一部残らざるを得なかったようです。TCPC手術の際に、外科医は大静脈から肺動脈への血液の流れを最優先して縫合したためとの説明でした。

今回の抜去手術は、若手医師を指導する立場のS先生に執刀いただいたので、説明も充分納得できましたし、安心して手術に臨むことができました。

記念に抜去したペースメーカーをもらいました。
「ペースメーカーとリード線の抜去」の添付画像(1)

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12229060217.html

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まだ手術前には戻りきっていないです

どうも、フェニックスです。

季節の変わり目だからでしょうか。最近体調が思わしくありあせん。

別に何が悪いという訳ではないのですが、だるい感じです。


復職して約3ヶ月、会社の事業状況が厳しい事もあり、仕事は思っていた以上にハードになってきました。業務負荷と体力のバランスが難しく感じています。


手術して半年経ちましたが、まだ手術前の体力には戻りきっていないようです。手術前の感覚で「これくらい大丈夫だろう」と思って動いてみると、後日反動がきます。

夏を比較的元気に乗り切ったのですが、秋にその反動が出ているのかもしれません。

瞬発力やスタミナも、手術前に比べるとまだまだです。

TCPC手術で血液循環が変わったことに、まだ身体が追いついていない気がします。


あせらず、ゆっくり進んでいきたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12209902607.html

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TCPC手術から半年

どうも、フェニックスです。

今日から10月ですね。


先週9月25日で、TCPCコンバージョンのフォンタン手術から丸半年が経ちました。手術後は大きなトラブルはなく、順調に仕事にも復帰できたことは、医者や医療関係者のみなさま、妻や両親など家族に大きな感謝です。


今週は仕事が落ち着いていたこともあり、3つの通院がありました。


1つ目はS病院でのペースメーカチェック。こちらは何の問題もありませんでした。


2つ目はJ病院循環器小児科の主治医の診察。8月の診察の際に低いと言わたヘモグロビン(鉄分)、カルシウム、総蛋白はすべて基準値内でした。食事やサプリなどで、特に鉄分を意識した食事を作ってくれた妻のおかげです。


また、BNPは26.2でした。基準値は20.0以下なのですが、個人の推移としてはTCPC手術前は50~90くらいで推移していたので、激減と言っても良いと思います。

※BNP=Brain Natriuretic Peptide:脳性ナトリウム利尿ペプチド、心臓の元気度がわかるホルモンの検査


気になるのは、サチュレーション(酸素飽和度)が94%から上がらないことですが、TPCP手術の際に心房に中核欠損を作ったので、この値くらいでいいのではと主治医に言われました。また、血圧も手術前は上が100~110くらいだったのですが、今は90~100程度です。こちらも問題ないとのことでした。


3つ目の通院は、古いペースメーカ抜去に向けた造影検査でした。J病院でカテーテル室に入って腕からの点滴で造影剤を入れ、抜去予定のペースメーカとリード線の状態を確認していただきました。検査時に以前からお世話になっているT先生とN先生がいらっしゃったので安心して検査を受けられました。


そして、飲酒はまだ早いそうです…


せっかくここまで順調にきたので、今後も健康管理はしっかり続けたいと思います。


それでは、また。
引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12205292595.html

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健康プラザでのリハビリ

どうも、フェニックスです。


TCPC手術後5ヶ月が経ち、心肺機能も体力もだいぶ回復してきたのですが、手術前に比べるとまだ体力が戻りきっていないなと感じることがあります。特に、駅などの階段の昇り降りでは脚が痛くなり、筋力が落ちていることを感じます。暑いこともあり復職後は車通勤をしているので、平日はほとんど歩いていないせいもあると思います。


そこで先日から、市の健康プラザに行き始めました。民間のスポーツジムとほとんど同じ設備のトレーニング器機やプール、スタジオがあるのですが、市立なので利用料が安く、障害者手帳があれば無料で利用できます。


「健康プラザでのリハビリ」の添付画像(1)


今日を含めていままで3回行ったのですが、毎回、脚の筋力をつける器具(上の写真のような器具)を使った筋トレをやり、バイクやクロストレーナ(下の写真のマシン)での運動も30分ずつやっています。
「健康プラザでのリハビリ」の添付画像(2)

「健康プラザでのリハビリ」の添付画像(3)



自分が無理しない範囲の軽い設定でのトレーニングですが、マイペースで汗をかくのは気持ちいいです。これからも週に一度を目安に、健康プラザには通おうと思います。


それでは、また。
引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12192135190.html

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ペースメーカ抜去の宿題

どうも、フェニックスです。

久しぶりのブログ更新です。

リオオリンピックに夢中になって、ブログ更新をさぼっていました(言い訳です…)


8月になり、元々受診していたJ病院の外来に行きました。

J病院ではフェニックスを診て下さっている先生が二人います。一人は循環器小児科で先天性心疾患のベテランの先生。もう一人も循環器小児科で、ペースメーカを含めて不整脈を診ていただいているの先生です。


診察結果は良好でした。

TCPC手術で右心房を切り取った影響で、CTR(心胸郭比)が50%以下になっていたのは驚きでした。サチュレーション(酸素飽和度)が94%前後と手術前よりも低いのですが、もう少し時間が経てば心肺機能が回復するから、特に問題ないとのことです。あと、鉄分、カルシウム、タンパク質が若干不足しているので、食事で補うように言われました。



そして、まだ宿題が残っていました…。手術前まで使っていたペースメーカとリード線の抜去です。


TCPC手術の時に、心房・心室両方をセンシング・ペーシングするペースメーカ(DDD型)に入れ替えました。手術前まで使っていた心房のみをセンシング・ペーシングするペースメーカ(AAI型)は不要になったため抜去の予定だったのですが、リード線が血管からうまく抜けなかったため、本体とリード線は体内に留置したままになっています。正確にいうと、以前のリード線が当たっていた右心房の部位は切り取ったために、リード線は途中で切られた状態で上大静脈内に残っています。


フェニックスのペースメーカとリード線抜去のためには特定の医療機器が必要らしく、それはTCPCをしていただいたS病院には無くJ病院にあるそうです。抜去はJ病院循環器内科のS先生しかできないらしいです。

多忙なS先生のスケジュールに合わせてJ病院に入院することで、循環器小児科の先生と話が進みました。


手術からは回復して無事復職もできたのですが、今年はまだまだ心臓のために時間とパワーを使うことが必要そうです。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12192120913.html

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復職

どうも、フェニックスです。


TCPCフォンタン手術から約3ヶ月、退院してから約2ヶ月経ちました。

順調に回復して日常生活はほぼ問題なくなり、主治医から就労可能の診断ももらい、今週半ばから復職しました。会社で「おかえり」「はじめは無理せずにね」と言ってもらえたのは良かったです。


ただ、暑くなってきたこともあり(一昨日の東京は36℃!)、思った以上に身体が疲れます。


仕事はデスクワークで、会社では気を張っているからか大丈夫なのですが、帰宅して夕食食べるとダルく感じます。退院して自宅に帰った時と似たようなダルさです。

今週は早めに横になりました。


また、ほぼ一日机に向かって座っていると、夕方には胸の傷口やペースメーカを入れた腹部もチクチクします。


ダルさも傷の痛みも、時間をかけて慣れていくしかないですね。

会社に復帰できたのも大きな前進ですし、あせらずに過ごそうと思います。


それでは、また。
引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12178803457.html

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身体障害者手帳が変わった

どうも、フェニックスです。


事情があり、最近身体障害者手帳の再交付申請をしました。


以前の障害者手帳は1歳半のブレロック手術後に交付されたもので、表紙が厚紙で作られた数ページの冊子形状でした。その手帳は数回の引っ越しや度重なる減免申請などで余白ページがなくなり、ついには補充の用紙をセロテープで着けて対応していました。


今回再交付された手帳は、ソフトケースで作られていました。記載内容は変更ありませんが、余白ページがなくなった場合は追加が簡単にできます。

ただ難点としては、財布に入れずらくなりました。今回の変更は、個人的には良し悪しです。


〔写真〕再交付された身体障害者手帳


「身体障害者手帳が変わった 」の添付画像(1)



「身体障害者手帳が変わった 」の添付画像(2)



それでは、また。
引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12169595148.html

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自立のためには自律が必要(社会人スタートの頃)

どうも、フェニックスです。

フェニックスは、就職早々に頻拍で倒れてしまい緊急入院し、暫くの間休職していました。


就職活動は以前書いたとおりですが、いま勤めてる会社から内定をいただいた後の大学4年生の秋に、突然頻拍になりました。いまではフォンタン手術(APC法)後の遠隔期には高い確率で頻拍発作が出ることは広く知られていると思いますが、当時はJ2病院の主治医からはそのような話はありませんでした。

初めて頻拍になった時には息苦しかったものの何が起きているのか分からず、まずは大学の保健室に行きました。脈拍数が150回/分以上あることを確認した保健婦から、すぐに病院に行くように言われました。1時間くらいかけて大学からJ2病院に電車とタクシーで行くと、すぐに緊急外来の部屋に連れられていきました。まずは抗不整脈剤の点滴を打ったのですが頻拍は治まらず、結局電気ショックが行われ、一泊入院しました。

それから約半年後に就職をしたのですが、頻拍は出続けました。病名としては、PSVT(発作性上室性頻拍)やAF(心房粗動)、af(心房細動)です。

就職前後は、大学の卒業旅行や一人暮らしのための引っ越し、3月末からの新人研修(2週間ビジネスホテルに泊まり込み)があり、無理をしてしまったのも頻拍が多発した原因のひとつだと思います。


社会人として自立するために、自律が必要です。

フェニックスの社会人のスタートは、やりたいことを我慢し、頻拍が出ないように自分をコントロールすることが最優先でした。お酒を飲まないこと、遊びに行くのをある程度抑えること、観たいテレビを我慢して早めに寝て睡眠を充分とることなどを行い、健康管理をしました。そして徐々に、頻拍になる回数も減っていきました。

結局試用期間はずっと休職していたのですが、それでも本採用にしてくれた会社と、それをサポートしてくれた父には感謝しています。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162201095.html

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内部障碍雇用の理解(就職活動)

どうも、フェニックスです。
今年は6月1日に面接が解禁になりましたが、今日はフェニックスの就職活動の話をしたいと思います。

フェニックスが就職したのは1998年4月でした。

就職活動は、1996年冬から97年春に行いました。就職氷河期や超氷河期という言葉もありながら、この時期は「失われた20年」の中でも比較的景気がいい期間でした。しかし、97年4月には消費税増税(3%→5%)になり、それがきっかけで景気が悪くなり、97年11月には拓銀と山一証券が破綻し、改善しつつあった景気が後退します。あと一年就職活動が遅かったら、ぜんぜん別な人生になっていたかもしれません。

「内部障碍雇用の理解(就職活動)」の添付画像(1)


フェニックスが就職を意識し始めたのは、大学3年(1996年)の夏頃でした。大学の就職課に行ったり、ハローワークに行き、障碍者雇用についても調べました。いまのようにインターネット上の情報が充実していなかったので、電話や訪問での問い合わせがメインでした。

調べた結果、障碍者雇用も選抜面接は健常者と同様のプロセスという会社が多かったです。96年の年末には、年賀状と一緒に会社への資料請求ハガキをたくさん書きました。会社案内を貰い、会社説明会に行き、筆記試験・面接に進みます。面接では、一次面接から心臓病のことは伝えるようにしました。

心臓病の事を聞いて、明らかに顔つきが変わる面接官もいました。特に態度の変化がひどかったR社の面談は、今でも忘れもしません。
一方で、いまフェニックスが勤めている会社は、通常の面接プロセスに加えて途中で産業医との面接も設けていただき、心臓病の事をよく理解したうえで内定を出してくれました。


就職活動は、景気状況や経団連の申し合わせなどで20年前とはかなり様子が変わってきています。障碍者雇用も、雇用率が引き上げられたり、特定子会社制度が設けられたりしています。ただ、発達障碍が注目を浴びる一方で、内部障碍の理解が深まっているというニュースはあまり耳にしません。

フェニックスが今できるのは、自分が会社にとって貢献できる幅を広げることです。それを通じて、就職や就業について内部障碍雇用の理解を深められたらいいなと思っています。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162196895.html

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自分に自信がつく(大学生の頃)

どうも、フェニックスです。
高校時代は特に大きなことがなかったので、今日は大学時代の話を書きたいと思います。

大学生になると、小学校から高校まで続いた集団生活とは縁が遠くなります。担任教師がいて、クラス全員で運動会や遠足、修学旅行に行くということがなくなりました。

心臓が悪いと集団生活はどうしても遅れをとり、それがいじめにもつながり、自分に自信が持ちずらくなります。フェニックスもそうでした。ですので、集団生活から解放されたことは嬉しかったです。


大学では、履修する科目は自分で選びました。1~2年生は一般教養や必修科目があるので、顔を合わせる友人はだいたい同じですが、時間が経つにつれてバイトやサークル活動にはまり、講義では顔を見ない友人も出てきました。

フェニックスは講義はきちんと出ていましたが、大学時代の一番の思い出は学園祭実行委員会です。目玉企画(講演会やコンサート)、参加サークルや部活が使用する教室や机・椅子・備品の割り振り、パンフレット作成と広告集め、学生部長(教授)や学生課職員との話し合いなど、学生自治の機運も残っている中での実行委員会でした。

当時はフォンタン手術後(APC法)で体調もよく、頻拍も出ていませんでした。準備期間の実行委員会会議の後に友人と酒を飲みに行って泥酔したり、夏休みに大学の施設がある谷川岳にドライブにいったり、祭典当日には翌日の準備や警備などでほぼ徹夜したりしたのは、今となってはいい思い出です。


自分たちで何かを決めて実現するという意味で、学園祭実行委員をやった大学時代は、「自分に自信が持てる」ようになった時期でした。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162192690.html

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APC法フォンタン手術(中学生の頃)

どうも、フェニックスです。

前にも書きましたが、フェニックスは13歳、中学校2年生でフォンタン手術(APC法)を受けました。執刀いただいたJ2病院では、当時、8例目のフォンタン手術だったそうです。

手術にあたって両親は主治医から詳細な説明を受けていたようですが、フェニックスは詳しい説明は受けていませんでした。ただ、自分が心臓が悪い事、そのために手術が必要なことは理解していました。


フォンタン手術が大きさや困難さを理解したのは、手術の後です。

手術後にICU(集中治療室)に一週間くらいいたと思うのですが、後から手術をしてICUに入って来た患者さんが先に一般病棟に戻るのに、なぜ自分はICUに居続けなければいけないかをICUの看護婦さんに聞いた覚えがあります。

入院た手術は27年も前なので記憶はあいまいですが、苦しく、痛く、辛かった記憶はあります。
その一方で、付き添ってくれた伯母がお寿司を差し入れしてくれたり、ある程度回復すると近くのおもちゃ屋にプラモデルを買いに行ったりした、良い思い出もあります。


中学生の理科の授業では、心臓のつくりという項目があります。それを勉強した後に、自分の心臓が健常者とどのように違うのかや、どのような手術を受けたのかということを親が説明してくれて、自分の心臓について他人に伝えられるようになりました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162189979.html

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できることは自分でやる教育(小学生の頃)

どうも、フェニックスです。
前回に続き、昔の話です。

フェニックスの親は、心臓が悪いためにできないことは無理をさせない反面、できることは極力自分でやるという教育方針でした。そして、そのために親も大きなサポートをしてくれました。

たとえば、小学生の時の遠足には、父が仕事を休んでついてきてくれました。小学生高学年の時には、近くの渓谷のハイキングコースを歩く遠足があったのですが、歩けるところは自分で歩き、疲れると残りの道は父がおんぶしてくれました。

後から聞いた話では、両親ともに、「無理をさせていないか。もしくは、本当はもっとできることを止めていないか」という振り返りの繰り返しだったとのことです。

当時は厳しく感じることもありましたが、両親の教育のおかげで今は自立して生活できているので、感謝しています。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162186434.html

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運命(生まれたての頃)

どうも、フェニックスです。

今日からは、フェニックスの昔のことを少し書いてみようと思います。


フェニックスは、東京都のA病院で生まれました。産まれつきチアノーゼが強かったので、すぐに保育器の中に入れられたそうです。健常の赤ちゃんは廊下から見えるガラス窓に並んでいるのですが、保育器は奥の方にあるので、フェニックスの顔は廊下からは見えなかったと親が言っていました。

A病院では心臓疾患の処理は難しかったため、A病院の産婦人科医がすぐにJ2病院の小児科医に連絡を取り、転院したそうです。J2病院でも小児科から心臓血管外科に転科し、1歳半でブラロック タウジッヒ シャント手術を受けました。フェニックス自身は、まったく記憶がありませんが…


親からあとで聞いた話では、フェニックスと前後してA病院で生まれた赤ちゃんも心臓が悪かったらしいのですが、チアノーゼが無かったために保育器には入れられず、結果的に亡くなってしまったそうです。

「あなたは心臓病が重くてチアノーゼがすぐに出たから助かったのよ」と、親からよく話を聞きます。20年前の医療水準を考えると、生まれた病院や転院した病院、そしてその場その場で適切な処置や判断をしてくださった医師がいたからこそ、命が救われ他のだと思います。


40年生きてこれて、さらに元気に生きられることに、運命を感じます。感謝して、日々を大事にすごしたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162183956.html

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ペースメーカのこと

どうも、フェニックスです。

今日はペースメーカの話です。
フェニックスは、かれこれ13年間ペースメーカを入れています。

きかっけは、27歳の時に洞機能不全症候群(洞不全症候群)になったことです。
洞機能不全とは、心臓を動かす神経の大元となる洞結節という部分がうまく機能しない症状)になることです。松山赤十字病院 心臓血管外科 山木医師のわかりやすいスライドを見つけましたので、引用させていただきます。

「ペースメーカのこと」の添付画像(1)

「ペースメーカのこと」の添付画像(2)

TCPC手術にあたっては、ペースメーカも入れ替えました。いままでは右心房のみのペーシング・センシングで大丈夫でしたが、TCPC後は右心房と心室両方へのペーシング・センシングが必要になったためです。以前は左肩に入れていましたが、執刀医の判断で、今回はお腹に入れることになりました。

ペースメーカのモードでは、TCPC前がAAI、TCPC後がDDDと呼ぶようです。
同じく、山木医師の資料を引用させていただきます。

「ペースメーカのこと」の添付画像(3)
「ペースメーカのこと」の添付画像(4)


今回のペースメーカは、以前とはメーカーも違うのですが、大きく機能が更新されています。その一つに「遠隔モニタリング」があります。

Medtoronic(メドトロニック)社のパンフレットには、このように説明されています。
・遠隔モニタリングシステムは、患者さんやご家族の方が携帯電話回線を通じて、植込み機器の情報をご自宅などから担当医や医療スタッフ等に送ることができるサービスです。

・植込み機器の情報を読み取り送信を行う「モニタ(データ送信器)、そして送られてきた情報を一括管理する「サーバ」で構成され、担当医や医療スタッフ等は、パソコン画面から情報を確認することができます。
「ペースメーカのこと」の添付画像(5)

「ペースメーカのこと」の添付画像(6)

入院中、看護師から遠隔モニタリングの説明がありました。また、「モニタ(データ送信器)」は退院後1週間くらいで送られてきました。
「ペースメーカのこと」の添付画像(7)

遠隔モニタリングの日は、あらかじめ指定されるので、その日にデータ送信を行います。
使い方は簡単です。リーダー(パソコンのマウス形のもの)を持ち上げて、お腹のペースメーカの上に当てます。シャツを着ていても大丈夫です。あとは画面の指示にしたがって、数秒間リーダーをお腹に当てていれば完了です。

数日後には、確認(問題なし)のハガキも送られてきました。
「ペースメーカのこと」の添付画像(8)


ペースメーカ外来は半年に一度ですが、前回外来から3ヶ月目には遠隔モニタリングでペースメーカや心臓の脈の状況も確認してもらます。


高齢化社会でペースメーカを入れるお年寄りも多くなり、特に病院から遠くに住む方にとっても、便利で安心できる仕組みだと思います。
ITの医療への応用、本当にすばらしいと思います。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12160894911.html

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病院でのボランティア

どうも、フェニックスです。

フェニックスがTCPC手術をしたS病院では、エントランスや受付にボランティアの方もいらっしゃいました。リタイヤされたシニア層の方が多かったのですが、みなさん笑顔で接していただきました。

この方々にお会いして、前に読んだ本を思い出しました。

『あなたの仕事は「誰を」幸せにするか?---社会を良くする唯一の方法は「ビジネス」である』
「病院でのボランティア」の添付画像(1)

著者の北原茂実氏は、脳神経外科を専門とする医師です。東大医学部卒業後、三井記念病院・都立府中病院・東大附属病院・帝京大附属病院で経験を積んだあと、北原神経外科病院(北原国際病院)を開設されたそうです。


北原氏は、著著の中で病院ボランティアについて、このように書いています。(以下、引用です)

・医療とは「いかによく生き、いかによく死ぬか」を総合的にバックアップすること、つまり人生を支援する総合生活産業なのです。

・ボランティアとして働いてもらう代わりに、病気になった時には療養費やその他費用を減額する。家族が入院した時には、入院費やその他の費用を減額する代わりに、ボランディアとして働いてもらう。
病院側としては人件費の削減につながりますし、医療職スタッフの負担は大幅に軽減され、本来の業務に専念してもらうことができます。これは医療の質を高めるためにも欠かせないことです。

・医療とは、医師から与えられるものではなく、自分も誰からに与えることができるものだと理解しましょう。

・自分自身の健康についてもまったく同じで、病院でボランディア活動をすることによって、病気や健康管理に関する正しい知識を身につける。
これからの病院は、医療を提供する場であると同時に、生活に根ざした医療を学んでもらう、ワークショップような役割も果たしていくべき


S病院でもボランティアの方も多く、北原氏の主張とは異なるところもあるかもしれませんが、地域病院としてうまく機能していると感じました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12158122547.html

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退院後2週間のリハビリ

どうも、フェニックスです。

TCPCコンバージョン手術を受けて無事退院し、今日で2週間経ちました。


退院翌日から今日まで、毎日リハビリを兼ねた散歩(外出)をしています。リハビリが、今の自分にとって一番重要なことです。
近くのコンビニやスーパーへの買い物をしたり、小川沿いを散歩したり、バスに20分くらい乗ってショッピングモールに行ったりしています。

退院直後は、ちょっとした外出でも外が眩しく感じ、歩行者や自転車が少し怖い感じがしました。みんな「普通の」速さで動いているのですが、病院内でのゆっくりしたスピードに慣れたフェニックスにとっては「速く」感じました。
何回か外出すると、次第にその速さにも慣れ、怖さも薄らいでいきました。

また、はじめは30分くらいの外出でも疲れを感じたり少し息切れをしたりしましたが、最近は多少の休憩を入れながら2時間くらいは外出できるようになりました。ただし、それ以上の時間になると息切れをしてしまい、自分の心肺機能が回復途中にあることを、改めて自覚します。


もう一つのリハビリが、シャワーやお風呂です。特にお風呂は、身体や頭を洗った後に湯船で半身浴をして上がると、息苦しさを感じます。シャワーの方が身体への負荷は少ないです。GWは東京は晴れて暖かい日が続いたので、最近はシャワーの日が多いです。

シャワーやお風呂の時は、頭や顔を洗う際にお湯をかぶると息苦しくなりやすいです。ですので、フェニックスは最近は、身体を先に洗った後、頭と顔を洗うようにしています。そうすれば、息苦しい時間が少なくなる感じがします。


今日はつれづれな記事になってしまいましたが、最近の様子もお伝えしたく記事を書いてみました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12157424010.html

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医療費の自己負担額

どうも、フェニックスです。
今日は医療費について書こうと思います。

TCPCコンバージョン手術では、考えていた以上に医療費は少なく済みました。(もちろん、個室代は別ですが)


フェニックスは民間企業に勤めているので、その会社の健康保険組合に入っています。
以前のペースメーカ埋め込み手術やカテーテル入院では、健保に申請をして、限度額適用認定証を受け取っていました。
限度額認定を使うと、月8万円強の自己負担でした。ただし、月割りなので足かけ二ヶ月になってしまう場合は、16万円以上の出費となります。
「医療費の自己負担額」の添付画像(1)


しかし、2015年3月に、厚生労働省専門家委員会が両大血管右室起始も難病指定の対象となり、2016年7月から助成が始まりました。

他の先天性心臓病も、このタイミングで難病指定の対象になったそうです。
・総動脈幹遺残症
・修正大血管転位症
・完全大血管転位症
・単心室症
・左心低形成症候群
・三尖弁閉鎖症
・心室中隔欠損を伴わない肺動脈閉鎖症
・心室中隔欠損を伴う肺動脈閉鎖症
・ファロー四徴症
・両大血管右室起始症
・エプスタイン病

このニュースを見て、S病院のソーシャルワーカーの方に相談し、医師に診断書を書いていただき、TCPC手術の前に市役所に難病指定申請を提出しました。受給者証発行までに、2~3ヶ月かかりましたが、手術の前には受給者症を手にすることができ、月1万円のみの自己負担(食事代等除く)でした。
「医療費の自己負担額」の添付画像(2)


ある意味、国の難病指定追加と、個人的な手術のタイミングが合ってラッキーでした。
ただ制度はよく変わるものなので、関連のニュースは関心を持ち続けたいと思います。

それでは、また。


追記
ここに書いた自己負担額は、あくまでフェニックスのケースです。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12157138784.html

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社会学から先天性心疾患へのアプローチ

どうも、フェニックスです。

フェニックスは以前、法政大学社会学部S先生からお声をかけていただき、S先生のゼミナールの大学生・大学院生たちに自分の経験を話したことがあります。


法政大学のホームページでS先生(教授)が紹介されています。

◇専門領域・研究テーマ
社会学理論・文化社会学(特に、自己と他者をめぐる語りの社会的条件をめぐる研究)

◇主な業績・著書
『眼の奥に突き立てられた言葉の銛-目取真俊の<文学>と沖縄戦の記憶』(晶文社、2013年)/『村上春樹と物語の条件』(青弓社、2009年)/『ケアとサポートの社会学』(三井さよとの共編、法政大学出版局、2008年)

◇所属学会などの学外活動
日本社会学会、関東社会学会

S先生は、2005年から2010年までではフェニックスを含む14名の先天性心疾患患者にヒアリングをされたそうです。フェニックスも2時間弱くらい話をさせていただき、先生と10人以上の大学生・大学院生に聞いていただきました。このような機会は初めてでしたが、大学で社会学を研究されている方々からも先天性心疾患者について興味を持っていただくことは、患者にとっても嬉しく感じました。


S先生方のアウトプットの1つに、社会志林(法政大の論文冊子)への論文があるそうで、後日、該当部分を送っていただきました。そこからいくつかご紹介します。

◇先天性心疾患とともに生きる人々の生活史と社会生活~成人への移行過程において直面する諸問題を中心として~ (2010年9月発行)

・成人となって、とりわけ「体調面での変化」を経験した心疾患者だちは、現在から未来へと進んでいく「時間」の受け止め方、時間的な経験の形において、特徴的な傾向を持っているように思われるのである。

・それを強く感じるのは、インタビューの中で、次のような二つの「語り方」に出会う時である。ひとつは、「体力的に落ちている」という語り方。(中略) もうひとつは「いつ何が起こるか分からない」「これからどうなるか分からない」という「見通し」の成り立ちの難しさを強調する語りである。

・先天性心疾患者へのインタビューにおいて強く感じさせられたことは、それぞれにバランスを異にしながらも、「予測可能性」や「展望可能性」がうまく確保されない状況を、彼ら/彼女らが生き続けているとうことである。

・「予測可能性」の成り立ち難さが最も際立った形で表れてくるのは、「不整脈」の発作に関する語り口においてである。(中略) 他方、「展望不可能性」を語る言葉は、「先行例がない」という形で示されることが多い。


◇生活史上の出来事としての再手術~フォンタン術後を生きる二人の先天性心疾患者の語りから~(2014年9月発行)

・個々の患者は、身体的な影響の水準だけではなく、自分自身の”暮らし”に及ぼす効果をも含めて、外科的介入に伴うリスクと負担を引き受け、同時にその成果を強く期待しながら再手術に臨む。
 そこには体調の改善だけではなく、それぞれが生きている物語の継続が賭けられている。医療技術は、個々の生活の文脈の中で、その人の「生活史上の作業」を支援するものとして提供されなければならない。

・フォンタン変換という新たな技術は、先天性心疾患者の生活を、良好な状態で長く存続されることを可能にするものとして導入されている。
 しかし、その技術の適用がそれぞれの人の生活史の継続を支えるものとなりうるかどうか。それを見極めるためには、一人ひとりが生きている「物語」と「共に考える」ことが求められている。


引用が少し長くなってしまいました。ただ、フェニックスがそれまでに何となく考えていたことや感じていたことがはっきりと書き表され、同時に他の心疾患者も似たように思っていたことを、改めて認識できてよかったです。

これからも先天性心疾患について、社会学者など医療以外の分野の方々にも関心の輪を少しでも広げていければと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156715380.html

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先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史

どうも、フェニックスです。

今回は、前回の記事で少し触れた先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史について書いてみたいと思います。

◇先天性心疾患者数の現状

まずは、基礎データです。
「先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史」の添付画像(1)
・近年の日本では、毎年100万人の赤ちゃんが生まれていて、約1%(1万人)に先天性心疾患があります。
・ただし医療の飛躍的な進歩により、先天性心疾患により死亡する赤ちゃんや児童の数は劇的に減少しています。

そして、先天性心疾患者数の推移です。
「先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史」の添付画像(2)
・出生後から20歳頃までの患者死亡数は激減し、成人できる心疾患者が増えています。
・1997年には、幼児よりも成人の人数の方が多くなりました。

(引用元)大阪医科大学 医Web


◇フォンタン手術の歴史
フェニックスは1976年生まれで、1989年にフォンタン手術(APC法)を受けています。ちょうどフォンタン手術の歴史と共に自らの手術を受けてきたように思います。
生まれた年や場所が違っていたら、手術が受けられなかった可能性も高いです。

1970年~1980年代後半 心房・肺動脈連結法(Atriopulmonary connection, APC法)
 ・フォンタン原法,右房血を肺動脈へ

1988年~ 大静脈・肺動脈連結法(Total cavopulmonary connection, TCPC法)
 ・1988年~ 側方トンネル法(Lateral tunnel TCPC: TCPC-LT法)
  SVC-肺動脈吻合+IVC-心房側壁を介して肺循環へ

 ・1990年~ 心外導管法(Extracardiac TCPC: TCPC-EC法)
  SVC-肺動脈吻合+IVC-人工血管を介して肺循環へ
  手術時間が比較的短い、術後心機能が良い、術後に不整脈の発生が少ないなどの利点がある。

(引用元)ウィキペディア


このように歴史を振り返ると、心臓が悪いながらも、医学的にも運に恵まれた星の下に生まれてきたのだと、改めて実感します。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156385500.html

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退院後

どうも、フェニックスです。
ブログを読んで下さっている皆さま、どうもありがとうございます。

フェニックスがフォンタン手術 TCPCコンバージョンをしたのは、実は先々月の下旬でした。1ヶ月ほど入院して、先月下旬に自宅に戻りました。退院して、まだ2週間弱しか経っていません。


自宅に戻ってからは、毎日30分~1時間ほど、近くのスーパーやコンビニ等に散歩に出かけています。また、足のかかとを上げて10回つま先立ちを3回(合計30回つま先立ち)を、一日2~3セットやっています。
一歩一歩ですが、心臓の調子も足の筋力も回復に向かっている感じがします。

先週は、退院後の外来があったのですが、レントゲン・心電図・血液検査を含めての診断結果は順調でした。

ただし、まだ骨が付いていないために重いものは持ってはいけません。
また、一昨日はバスで20分くらいのところにあるショッピングモールに行ったのですが、1時間~1時間半買い物をしたら、結構疲れました。


このブログは、フェニックスが入院・手術の記憶が新しいうちに残したいと思い、毎日いくつかの記事を書いていました。これからは折に触れて、近況を書きたいと思います。


一方で、先天性心疾患患者は小児よりも成人の方が多くなっていること、先天性心疾患患者の社会生活、医療費の問題など、いくつかお伝えしたいテーマもあります。それらについても、少しずつ書いていきたいと思います。


今後も「フェニックスの日記」をよろしくお願いします。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156382462.html

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TCPC手術前後で心音が変わった

どうも、フェニックスです。

今回は、TCPC手術の前後で心音が変わったという話です。


瀬戸内海・豊島(てしま)に、「心臓音のアーカイブ」という現代アートがあります。
受付を済ませて奥の部屋に入ると、そこは真っ暗です。そして時々、重低音に合わせて光がフラッシュします。その音は、アーティストが収集した世界のさまざまな人の心臓音なのです。

〔写真〕心臓音のアーカイブ 建物外観
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(1)


心臓音のアーカイブでは自分の心臓音も録音でき、その場で聞くこともできます。また有料でCD化してくれます。
フェニックスは数年前に、この現代アートを訪れ、CDも買いました。


そのCDの心音(TCPC手術前)と、TCPC手術後に聴診器(素人用)で聴いた心音は、リズムが違いました。
血流が「全身→右心房→肺→…」から「全身→肺→…」に変わっているのですが、心音のリズムも変わったことを発見できたのは、面白かったです!!


また、豊島・心臓音のアーカイブに行って、自分の心臓音を録音し、CDを作りたいと思います。


豊島は、豊島美術館に加え、スプツニ子さんの豊島八百万ラボも新たにできたそうで、行くのが楽しみです。

〔写真〕豊島美術館。こちらも以前行ったことがありますが、素晴らしい空間でした。
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(2)

〔写真〕豊島八百万ラボ。スプツニ子さんがどのような現代アートを創られたか、楽しみです。
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(3)


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156063090.html

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自分の第一の主治医は自分

どうも、フェニックスです。

今回は、自分の体調管理について書いてみようと思います。

生まれつき心臓が悪かったフェニックスは、小中学校では運動会・体育祭は見学することが多かったり、遠足に父が同行して途中でおんぶしてくれたりしました。また、高校では囲碁部でスポーツはしていませんでした。

そのような中で、自分の健康管理は自分自身で行うということが、自然と身に付きます。


特に22歳で頻拍が起きた時には、フォンタン手術(APC法)の遠隔期には頻拍が起きる確率が高いことも、頻拍のメカニズムである心臓の刺激伝導系の経路も、当時通院していた病院では医者も看護師も教えてくれませんでした。
そこで、自分で専門書の入門編を買い、いろいろ調べました。

「自分の第一の主治医は自分」の添付画像(1)

いまでは、WEBに様々な情報が載っていたり、AED(自動体外式除細動器)が多く設置されていたり、芸人Mさんが亡くなった際に心臓の刺激伝導系についてもTV報道があったりと、ずいぶん変わったと思います。

フェニックスは、TCPC手術にあたっても、看護師が読むような「心臓血管外科ケアマニュアル」もざっと目を通しました。


自分で自信の身体・心臓に関する医学の初歩の知識を得て、医者や看護師に相談すると、それに応じた説明はいただけます。
それと並行して、四季ごとの過ごし方にも注意できるようになります。気温や気圧の変化による体調変化や、水分の摂り方などが工夫できるようになりました。


このような意味で、言い過ぎかもしれませんが、自分の第一の主治医は自分だと考えています。そして通院の際は、自分の体調や状況、感覚について、適切な言葉で外来の主治医に伝えることが大切だと思います。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156050809.html

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S病院について(病院スタッフ 編)

どうも、フェニックスです。

S病院について、一番大事な病院スタッフについて書こうと思います。


以前のブログを読んで下さった皆様には繰り返しになってしまいますが、S病院は医師・看護師・看護助手・病棟事務・臨床検査技師・理学療法士・ソーシャルワーカーなど、多くの方がフェニックスの命を救い、回復をサポートいただきました。



医師だけでも、手術執刀や手術後の消毒・抜粋をする心臓血管外科、手術前後で身体の状態を管理する麻酔科、ペースメーカを中心とする循環器内科、病棟担当医や相談される先生がいらっしゃる循環器小児科…と多くの先生方が関わって下さり、フェニックスの知らないところでのカンファレンスを含めると、本当に多くの先生方に命を救われたと思っています。

看護師の方や他の病院スタッフ含め、まさにチーム医療です。



マネジメントの父とも言われるP.F.ドラッカーは、彼の著書で、病院や外科チームのことを例として多く書かれています。「マネジメント 課題・責任・実践」の最終章には、「組織は、人の強みを生産的なものにする。組織は、個としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現させるための手段なのである」とあります。
「S病院について(病院スタッフ 編)」の添付画像(1)

S病院は、本当にマネジメントされた組織だと思います。実際には大変なことの方が多く、それ程きれいな話ではないことも理解しています。

ただ、この病院で入院・手術を受けられたことは、患者として本当に良かったと思っています。


それでは、また。
引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156033394.html

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S病院について(患者への説明 編)

どうも、フェニックスです。

S病院は、患者への説明も丁寧でした。前に書いたように、執刀医や麻酔科医の先生の手術事前説明や、病棟担当医の先生の毎日の病状確認の時に、フェニックスや家族の様々な質問に答えてくださいました。また、看護師の方もいろいろ教えてくださいました。

それとは別に、患者が自分の状況を理解できるような用意もありました。


一つ目は、各自のベッド横にある台についているテレビ画面で、患者がいつでも自分の予定や服用している薬を確認することができます。病院内ネットワーク(院内LANのようなもの)が構築されていて、患者はその一部を見ることができます。
「S病院について(患者への説明 編)」の添付画像(1)

「S病院について(患者への説明 編)」の添付画像(2)


ふたつ目は、パンフレットです。

手術案内のパンフレットでは、手術から回復までの流れの説明が書かれていました。手術直後に咳やくしゃみをすると傷が痛むので胸の傷口を手で押さえながら咳やくしゃみをすることや、痰を出す練習を手術前にしておくことなどは、特に役立ちました。
「S病院について(患者への説明 編)」の添付画像(3)

心不全パンフレットは退院予定日が決まってから渡していただいたのですが、退院後の自宅での過ごし方やリハビリについて書いてありました。前に書いたMETs(メッツ 酸素摂取量)の説明も心不全パンフレットに載っていました。
「S病院について(患者への説明 編)」の添付画像(4)

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155869076.html

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S病院について(病院食 編)

どうも、フェニックスです。

続いては、S病院の病院食についてです。

子どものころから入院してきたフェニックスにとっては、最近の病院食は美味しくなったと感じます。S病院の一般食では、一日2,000キロカロリー、塩分8グラムで作られていると、管理栄養士の方から伺いました。


朝食は、パン・副菜1品・フルーツ・牛乳の日が多かったです。
「S病院について(病院食 編)」の添付画像(1)


昼食は、ご飯・主菜・副菜2品で、汁物やフルーツが付く日もありました。また、時々、蕎麦なども出ました。写真は、珍しく、鮭のちらし寿司が出た時のものです。
「S病院について(病院食 編)」の添付画像(2)


夕食は、昼食同様、ご飯・主菜・副菜2品で、汁物やフルーツ付く日もありました。主菜は、肉はチキンが多く、肉と魚は半々でした。元々チキンは好きだったので、薄味ながら美味しく食べられました。一方で、ご飯の量は多く(250グラム)、海苔やふりかけも使って食べたのですが、いつも1/3から半分くらいは残してしまいました。
「S病院について(病院食 編)」の添付画像(3)

「S病院について(病院食 編)」の添付画像(4)


S病院について、次回ももう少し書きたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155854880.html

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S病院について(建物・設備 編)

どうも、フェニックスです。

今日は、フェニックスがTCPC手術を受けたS病院について書いてみようと思います。
まずは、建物や院内の設備などのハード編です。医療器機については、素人は分かりませんので、あくまで患者として知った部分です。


四階は中央ステーションが真ん中にあり、それを取り囲むように3つの病棟と総合救急がありました。そして、内回りを一周すると100メートル、外回りを一周すると200メートルあるそうです。(写真の青線が内回り、赤線が外回りです)。リハビリの病棟散歩での距離は、これを目安に測っていました。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(1)


談話スペースは一面がガラスになっていて、晴れた日は光が差し込み明るかったです。曇天で、あまり明るくない写真になってしまいました(泣)。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(2)

談話スペースの机には、小さなお花もあって、癒されました。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(3)

建造中の屋内競技場も見える談話スペースもありました。今度は晴れた日の写真です!!
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(4)

談話スペースには給茶器があり、患者はポットに入れて病室まで持って帰れます。もちろん、面会の方も使えます。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(5)

なんと、図書貸し出しサービスまでありました。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(6)

コイン式の洗濯機・乾燥機も、四階に2台づつありました。シャワーやお風呂に入った後は、タオルや下着を家族に洗濯・乾燥してもらっていました。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(7)


一階には外来やリハビリ室、売店があるのですが、心臓手術の歴史的な医療器機も展示してあります。

写真は、1962年にメキシコ市開催の第4回世界心臓学会に展示された「遠心型人工肺搭載 人工心肺装置」だそうです。
「S病院について(建物・設備 編)」の添付画像(8)

フェニックスの執刀して下さった先生が開発された人工心肺「コンポーネントシステムⅢ型人工心肺装置 スケルトンタイプ」の写真も展示してありました。操作部とベース部(電源部、制御部)を完全に区別することで、操作部の軽量化・自由度が増し、移動やセッティングが容易になったそうです。また、視認性が広がり安全性の確認が高まったとも説明がありました。
(説明文の抜粋なので、カタイ表現ですみません…)


このように、工夫された建物や気配りされた設備があったのですが、S病院に関心したのはそれだけではありませんでした。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155843579.html

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家族との時間

どうも、フェニックスです。

TCPC手術にあたり、妻と両親は日にちを決めて、誰かひとりは看病に来てくれていました。
両親は片道2時間以上かかる距離を来てくれ、6~8時間ほど病室に居てくれました。自宅は近かったのですが、妻は病院に来る前にデパ地下やスーパーに寄り、差し入れを買ってきてくれました。


父母とは、こんなに長い時間話したのは久しぶりでした。フェニックスは就職と同時に実家を出て、18年以上経ちます。正月や夏休みなど年に2~3回は実家に帰っているのですが、今回ほどはゆっくり話しをする時間は持てていませんでした。

フェニックスが生まれた時にすぐに酸素保育器に入れられたこと、A病院産婦人科からJ病院小児科を経て、J病院心臓血管外科で診てもらったこと、親の若かりし頃の話、最近の実家近所の話、妹たちや姪の話、いろいろなことを聞くことができました。
以前も聞いたことがある話も多かったですが、中には初めて聞く話もあり、話ができて良かったです。


妻とは、週末は出かけたりしていますが、平日夜は夕食から寝るまでの短い時間しか話をしないことが多いです。フェニックスが、入院中なので自宅近所の今年の桜が見られないという話をすると、写真を撮ってきてくれました。
「家族との時間」の添付画像(1)

「家族との時間」の添付画像(2)


義理の両親や妹も見舞いに来てくれてました。家族と話す時間がたくさん持てたことは、入院で良かったことの1つでした。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155460192.html

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仕事で得たことが入院生活やリハビリでも役立つ

どうも、フェニックスです。

前回までは、TCPC手術の入院前・入院中・退院について書きました。
今回からは、入院中に考えたこと、気づいたことについて思います。

まずは、「仕事で身につけたことが、入院生活やリハビリにも役立つ」という話です。

◇スケジュール管理
仕事では、スケジュール管理が大切です。P.F.ドラッカーも「成果を上げるものは、時間からスタートする」と言っています。

入院生活やリハビリも同じだと思いました。
まずは計画立てが大切です。病院では、さまざまなスタッフの方がお世話をしてくれますが、必ずしも患者の一日について誰かが把握しているというわけではありません。もちろん、検査や服薬、食事の時間が決まっているのですが、シャワーや風呂の時間、リハビリの時間は自分から希望できます。また、病室の掃除やシーツ交換で、談話室にいた方がいい時間もあります。

手術後しばらくは、何か1つをやっては休み、そして次に何か1つをやる…というペースで動いた方がいいです。連続して何かを経てづつけにやってしまうと、息切れや動悸がして、自分が苦しくなります。

そのために、フェニックスは前の晩に、翌日のスケジュールを立てていました。


◇PDCS(Plan-Do-Check-Action)
フェニックスが入社して最初に教わったのは、PDCSでした。Plan(計画して)、Do(実行して)、Check(振り返って)、Action(次の行動に生かす)という、仕事の基本です。

特にリハビリでは、例えば「今日は800メートルリハビリ散歩して、心臓の疲れ具合はまあまあだから、明日は1,000メートル歩いてみよう」のように、自分の心臓や身体の状態は、常に意識していました。


◇step by step(一歩一歩確実に) または sequence(シークエンス:連続・順序)
前の上司は、組織変革や業務プロセス、成果物の改善にあたって、"step by step"とよくおっしゃっていました。
また社長は、sequence(シークエンス)という言葉を使われます。sequenceは、マクドナルド改革の時の図を例に、基本ができないと次の改革にも進めないということを認識しようという話です。
この図、お正月の鏡餅を連想し、個人的には鏡餅図と呼んでいるのですが…
「仕事で得たことが入院生活やリハビリでも役立つ」の添付画像(1)

「仕事で得たことが入院生活やリハビリでも役立つ」の添付画像(2)


回復・リハビリも同じで、一歩ずつ順を追って良くなっていくしかないです。本当に、焦りは禁物です。

前の上司から、"patience(ペイシェンス:忍耐・辛抱強さ"を身に着けるようにもフィードバックをもらったことがあるのですが、患者(patient ペイシェント)だけに、それが身に染みて実感しまいた。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155449141.html

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リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き3)

どうも、フェニックスです。

経過が順調だったこともあり、手術後20日目に担当医から「退院」という言葉をいただきました。当初の入院計画では、約4週間と書かれていたので、ほぼ予定通りに回復してきたのだと思います。

退院に向けて、やることは大きく2つありました。
1つ目は、入院中にできる各種検査。2つ目は、持ち物を家に持ち帰ることです。

各種検査は、具体的には、ホルター心電図(24時間心電図)、レントゲン、心電図、エコー(超音波)などです。

ホルター心電図は、何度かやったことがあるのですが、やはりうっとうしいです。それは仕方ないとしても、行動記録も書かなくてはいけません。特に小便の時には、ホルター記録用紙に何時にトイレに行ったかを書き、水分量の記録紙にどれくらいの量が出たかを書かなくてはいけません…
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き3)」の添付画像(1)

ホルター心電図を付けながら、リハビリ(自転車漕ぎや階段、病棟散歩)もやってみたのですが、時折胸を指すような痛みがあり、マーキングすることができました。後日、外来でホルター心電図の解析結果を見せてもらったのですが、心室性の期外収縮と関係がありそうでした。

エコーは、担当医も診てくれましたが、それに加え、臨床検査技師の方も精緻に確認してくれました。生まれつき心臓病だった上に3度も手術をしているので、心臓の部屋の構造や狭窄、血液の流れが特有だったこともあり、1時間弱、臨床検査技師の方がしっかりとエコーをとって下さいました。


持ち物を持ち帰るというのは、前に書いたように、枕や椅子のクッション、着替え、シャンプー・ボディソープ・洗濯洗剤、買った雑誌・新聞や、お見舞いでもらったり持ってきた本があり、それを妻に順次持ち帰ってもらいました。

ただ、売店で宅急便を扱っていることも分かり、最終的には病院から自宅に荷物を発送しました。(箱は売店のスタッフの方が、親切にも中身の商品を出して段ボールを明けて下さり、分けていただくことができました)
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き3)」の添付画像(2)


各種検査結果も良く、リハビリも順調に進み、TCPC手術をしてから28日目(入院してから30日目)に、無事退院することができました。

退院日は、担当医の責任者にあたる先生からの説明と、管理栄養士からの栄養指導を、妻と一緒に聞きました。
先生からの説明は丁寧に説明してくださり、TCPC手術を改めて振り返ることができ、細部について判らない点も教えていただきました。
管理栄養士の方からは、特に塩分を抑えた食事について教えていただきました。

退院時の処方薬も受け取り、会計も終わらせ、いよいよ退院です。お世話になった方々に挨拶をしつつ病棟を発ち、1ヶ月ぶりに病院の外にでました。眩しかったです。

タクシーで自宅に戻ったのですが、それだけで疲れを感じました。病院内は白やクリーム色などが多いですが、自宅はカラフルです。
夕食は、出前のお寿司で妻とお祝いしました。
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き3)」の添付画像(3)


入院中に感じたことや考えたことがいくつかあります。今までの記事には書き切れない部分もありましたので、次回以降は、それらについて書いていきたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155438103.html

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リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き2)

どうも、フェニックスです。

回復・リハビリのフェーズ4でのリハビリは、ちょっとしたものを持つことができませんでした。
たとえば食器の下膳ですが、朝食の食器を、部屋か配食ワゴンへの数メートルを運ぶだけで、息が切れて苦しくなってしまいまいた。

朝食の食器は、次第に下膳できるようになりましたが、昼食や夕食の食器はさらにお皿の数も多いために、看護助手の方や家族に片付けてもらいました。(S病院では、基本的には食事の配食も下膳も、スタッフの方がやってくれます)

〔写真〕朝食の食器。これが、なかなか持てませんでした。
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き2)」の添付画像(1)

また、手術の際に胸も骨も切り、骨が付くまでには3ヶ月かかることから、無理して重いものを持たないように、理学療法士の方からアドバイスをいただきました。腕のリハビリは、手術後3ヶ月後から、腕を回したり、ペットボトルに水を入れて持ち上げたりすることを始めるのが良いそうです。


リハビリの難関は、階段でした。
以前お話ししたMETs(酸素摂取量)だと、
・階段を下る: 3~5METs
・階段をゆっくり上る: 5~7METs
・階段を上る: 7~9METs
だそうです。
心臓にとっては、階段の上りは結構な負荷になるらしいです。

リハビリでは、まずは階段を18段下り、少し呼吸を整えて、18段上りました。病院の階段は9段ごとに踊り場があったので、上りは9段上がっては休んで、また次に進みます。
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き2)」の添付画像(2)

階段リハビリの初日は、結構辛かったです。
心臓もいっぱいいっぱいでで、息切れしましたし、足の筋力の衰えも感じました。入院前にあった足の筋力の貯金も、数週間の病院生活では使い果たしてしまった感じです。


さて、次回は退院に向けての準備について書きたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155402300.html

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リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き1)

どうも、フェニックスです。

手術後もそれ程食欲は落ちなかったのですが、リハビリ室でのリハビリが始まると、さらに食欲が出てきました。
妻が見舞いに来てくれた週末には、昼食は病院食のおかずのみ食べた後、病院の一階レストランに定食を食べに行きました。特に、白身魚の黒酢あんかけは美味しかったです!

「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き1)」の添付画像(1)

食べるスピードも、次第に手術前に戻ってきました。咀嚼を何度もしなくても、食事が喉を通りやすくなりました。


担当医は、毎日病室にいらっしゃり、様子を見ていただいたり質問に答えてくださいました。
例えば、エコー検査は順調なこと。サチュレーション(酸素飽和度)が低いのは、TCPC手術をすると術前よりも貧血気味になること、そのために鉄剤はしばらく飲み続けること、レントゲン結果で胸水が溜まっていないので利尿剤は徐々に減らしていくこと、などです。
先生の丁寧なご説明に、自分の心臓・身体の状況がよく分かり、安心できました。


リハビリは、リハビリ室の自転車漕ぎに加え、病棟散歩リハビリも続けていました。1,000メートル(1km)×2回まで距離を延ばすことができ、スピードもだんだんあがっていきました。この時になると、サタデーナイトフィーバーのビージーズ(Bee Gees)「ステイン・アライヴ (Stayin' Alive)をiPodで聞いてノリながら、散歩リハビリをしていました。
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き1)」の添付画像(2)


〔写真〕1,000メートルを歩くときは、iPhoneで時間を測っていました。17分以上かかっていたのが、14分半以下で歩けるようになりました。
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き1)」の添付画像(3)
           ↓
「リハビリ室でのリハビリから退院まで(続き1)」の添付画像(4)


次回も、この時期の話をもう少し続けたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155393358.html

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リハビリ室でのリハビリから退院まで

どうも、フェニックスです。
多くの方に、このブログを読んでいただいているようで、ありがとうございます!励みになります。

さて今日は、リハビリ室でのリハビリについて書きたいと思います。回復・リハビリのフェーズ4の時期です。


S病院では、一階にリハビリ室(心臓リハビリテーション・ルーム)がありました。ジムのような雰囲気で、ウォーキングマシーン、サイクリングマシーン(自転車漕ぎ)、前方一面が鏡のスタジオなどがありました。リハビリ室は、入院感謝だけでなく、外来の患者も利用できます。

特に高齢者の成人性心臓の手術では、手術自体は成功しても、その後足の筋力の衰えで寝たきりにならないように、早期のリハビリにかなり力を入れている印象です。

「リハビリ室でのリハビリから退院まで」の添付画像(1)


フェニックスは、サイクリングマシーン(自転車漕ぎ)を使ってリハビリをしました。ペダルの重さは下から2番目の軽さで、時速50km~60kmで漕ぐのが、心臓への負荷が一番少ないそうです。初日は、自転車漕ぎを5分行い、少し休んで息を整えて、さらに5分やりました。
リハビリの前後で、理学療法士の方が血圧やサチュレーション(酸素飽和度)を測ってくれ、心臓に負荷がかかり過ぎていないかを確認してくれます。

自転車漕ぎも、次第に5分+10分、10分+10分…と増えていきました。同じプログラムでも、1回目は息切れを感じるのですが、2回目はそれほど息切れをせず、回復が前進するのが実感できます。
また、同じ時間自転車を漕いでも、その日の夕方に、身体を拭くだけ→シャワーに入る→風呂に入るなど、他に心臓に負担になることを少しずつ増やしたりしました。


一階リハビリ室に行けるタイミングで、院内歩行可の許可がでました。それまでは、四階病棟歩行のみだったので一階売店への買い物は家族に頼んでいましたが、自分で売店に行けるようになったのは気分も晴れ、便利にもなり、嬉しかったです。

手術後に初めて行った売店では、プレジデント・東洋経済・新聞を買いました。今となっては「記念品」です!!

「リハビリ室でのリハビリから退院まで」の添付画像(2)


続きは、また次回の記事で書きます。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155386725.html

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病棟でのリハビリ(続き2)

どうも、フェニックスです。

今回も、病棟でのリハビリ(回復・リハビリのフェーズ3)の続きを書きます。


手術後15日目午後には、病院の電気定期検査のために予定停電がありました。病院なので、医療機器はバックアップの自己発電でまかなっていたのですが、電灯はもちろん、エアコンも止まってしまったのは、少し辛かったです。

心臓が弱いと、ちょっとした気温や気圧の変化でもダメージを受けやすいです。健康な方は、全然気にしないようなことにも敏感になります。
例えば、初夏に一気に高気圧になる日、台風などで急に低気圧になる日、台風一過で気圧が戻る日などは、期外収縮(不整脈の一種)が出やすく、体調が思わしくありません。

手術後は個室のエアコンでこまめに温度調整していたのですが、予定停電の日の午後はエアコンが使えませんでした。しかし、個室の窓や扉を開けたり意識して水分を取ったりして、何とか体調を崩さずに乗り越えました。振り返ると、これもリハビリの1つになり、自信にもなりました。

一方で予定停電だったから良かったものの、3.11東日本大震災や熊本地震での患者さんを改めて想像すると、天災時・緊急時の病院は本当に大変だと思います。


回復・リハビリのフェーズ3の後半には回復も進み、友人が見舞いに来てくれ楽しく話をしたり、酸素マスクが外れたりしました。シャワーも、それまでは中腰でも座れる高めの椅子だったのが、自宅にあるような低い椅子に座っても入れるようになりました。

集中力も続くようになり、ゲーム「二角取り」も最後までやり切れるようになりました。
「病棟でのリハビリ(続き2)」の添付画像(1)


また、足のむくみはほぼ無くなりました。利尿剤が効いたことに加え、食事も塩分制限は気を付けました。過去に、タンパク漏出性胃腸症で、5kg位むくんだ経験も生きました。

〔写真〕どうしてもスナック菓子を口にしたく、塩分の比較的少ない「じゃがりこ」を数本食べました。
「病棟でのリハビリ(続き2)」の添付画像(2)


とはいえ、ちょっと無理をすると息苦しくなることもあり、そのような時は体温調整がうまくいかず、急に寒く感じることも多かったです。咳が出続けるのが、酸欠気味ののアラームのような気がします。
担当医からは、今は大丈夫だが、リハビリを進める途中で動悸が頻繁に起きると肺に水が溜まるケースもあるので、引き続き定期的にレントゲンを確認していくという話もありました。

〔写真〕炭酸もどうしても飲みたくなったのですが、オロナミンCを一口飲んだだけで充分でした。炭酸は二酸化炭素が溶け込んでいるので、サチュレーション(酸素飽和度)が低い時には飲むものではありません!!
「病棟でのリハビリ(続き2)」の添付画像(3)


〔写真〕妻と相談して、病院でも定時バイタル確認(体温や血圧などの身体の基礎情報)の時に使っているようなパルスオキシメーター(サチュレーションを指先で測れる機器)をAmazonで見つけ、買いました。一万円くらいだったので、お買い得でした。
正常な動脈血のサチュレーションは97%以上らしいので、93%はやはり低めです…
「病棟でのリハビリ(続き2)」の添付画像(4)


病棟を歩くリハビリは、400メートル×1回+600メートル×2回(計1.4km/日)まで距離を延ばせました。こうして、リハビリ室でのリハビリに、また一歩進んでいきます。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155178126.html

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病棟でのリハビリ(続き1)

どうも、フェニックスです。

前回は、病棟でのリハビリの初日だけで記事が終わってしまいました。今回は、もう少し話を進めようと思います。

リハビリは、日々少しずつ前進していきました。リハビリ初日は200メートル×1回だったのが、次の日以降は200メートル×3回、400メートル×1回+シャワー、400メートル×3回…と、距離・回数ともに少しずつ増えていきました。ただし、歩くスピードはゆっくりで、手術前に歩いていたの半分くらいの速さでした。

好きな音楽に合わせると歩くスピードが調整しやすいです。フェニックスは、ドラマ「白い巨塔(田宮二郎版)」が好きだったので、そのオープニングの音楽を頭で流しながら歩いていました。病棟を歩くのが白い巨塔のテーマミュージックというのは合っているようですが、S病院では昔ながらの「教授の総回診」は、今は実際にはありませんでした。
「病棟でのリハビリ(続き1)」の添付画像(1)


咳は、相変わらず出ました。担当医にそのことを伝えたら、薬の副作用の可能性もあるということで、同じ効果の別な薬に替えてくれました。それ以降は、咳は少しずつ減っていきました。


この時期は、寝つけなかったり、熟睡できなかったりした日が多かったです。心臓や血液循環はまだまだ回復途上なものの、身体(筋力)は疲れていないため、余計なことを考えて寝付けないこともありました。また、近くの部屋のおじいさんが、夜中にもナースコールを押すなどで、部屋の外の物音が気になったこともあります。


サチュレーション(酸素飽和度)は、まだ低めでした。血中の酸素が少ないと、日常の動作1つ1つで、無意識的にいかに酸素を使っているかがを実感します。
たとえば、食事をするとき(料理を飲み込むとき)、話をするとき、歩くとき、すべて酸素が必要になります。食事は、はじめは少しずつ口に含み、何度も咀嚼して飲み込みました。お年寄りと同じような状態です。

会話をしながら食事をすることもはじめは辛く、食事中は家族に「申し訳ないが食事中はあまり会話ができない」と話をしました。しかし、徐々に会話しながら食事ができるようにもなっていきます。
また、妻と話していて大爆笑したことがあったのですが、すごく楽しかった反面、傷も痛く、少し息苦しくなってしまいました。

酸欠気味になると自然とヒクヒクし、軽い痙攣状態になります。酸素マスクがついていたこともあり、そのような時は大きく腹式呼吸をして身体に酸素を取り込み、息を整えるようにしました。


次回の記事でも、病棟でのリハビリ(回復・リハビリのフェーズ3)の話をもう少し続けたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155169992.html

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病棟でのリハビリ

どうも、フェニックスです。

手術12日目から、リハビリが始まりました。回復・リハビリのフェーズ3に突入です。


四階病室に戻ってきた時に大学の時の親友にもらったメールで、「手術までは医者の頑張り、これからは君の頑張りだね。」と激励をもらいました。実際には、医師・看護師・看護助手はじめ多くの方に看護いただいているのですが、リハビリ開始からは自分でも頑張れる範囲も広がっていきます。

リハビリの初日は、200メートルを歩くことでした。たった200メートルと思い、普通に歩くくらいのスピードで歩いたら、理学療法士の方から、もっとゆっくり歩くようにアドバイスいただきました。

理学療法でMETs(メッツ・酸素摂取量)という単位があるらしく、
METs1~2:かなりゆっくり歩く(1.6km/h)
METs2~3:ゆったりした平地歩行(3.2km/h)
METs3~4:少し速く歩く(4.8km/h)とのことで、
はじめはゆっくり歩きながらも距離を伸ばすことを優先した方がいいと言われました。

ちなみに、不動産の広告表示で使われる分速80メートルは、時速にすると4.8km/hで「少し速く歩く」に当てはまります。

200メートルを歩いた後は、血圧は若干上がりましたが許容内(リハビリ前後の比較で±10以下)でした。


その日は、夕方17時から、手術後初めてシャワーに入りました。胸の傷口は抜糸前だったため、ガーゼの上から防水テープで覆ってもらったのですが、シャワー後にはガーゼが濡れてしまい、すぐに消毒・ガーゼ交換をしてもらいました。
18時からは夕食です。妻が、デパ地下で買ったおこわご飯を差し入れしてくれました。

こうして、昼間の初リハビリに加え、シャワー・ガーゼ交換・夕食とバタバタ続いたせいもあってか、19時前からは息苦しくなり、1時半弱、ベッドで横にならざるを得ない状態でした。
自覚症状としては、心臓の脈が強く打ち、横になっていても自分の心臓が動いているのを感じます。また、血流も強く感じ、背中を血液が流れるのも感じました。指先まで脈が打っているのが分かる状態です。

ともかく、この時は苦しかったです。

TCPC後は、例えるなら、赤ちゃんの心臓で大人の大きさの身体に血を送っている状態だと考えています。体力に心肺機能がついていきません。

これに懲りて、それ以降のリハビリは慎重に、少しずつ進めるようにしました。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155159261.html

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四階病棟の病室に戻って(続き2)

どうも、フェニックスです。
回復・リハビリのフェーズ2の時期の最後です。

フェーズ〇というのは、4/26記事「回復・リハビリは、4つのフェーズの感覚」を参考にしてください。
http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154203936.html


ICUから四階病棟の病室に戻ってからしばらくの間は、集中力がありません。
事前に、地元の図書館で借りてきた本も読み切れず、妻に返却してもらいました。


落語もYouTubeで見たのですが、長編を聞くと集中力は続きません。志ん朝師匠の「二番煎じ」はとても面白かったのですが、約45分の大作で登場人物も多いので、後半は誰がどんな人か、こんがらがってしまいました…
「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(1)


食べ物も、あれほど好きなチョコレートも身体が受け付けませんでした。
〔写真〕下は実家近くの洋菓子屋のお菓子。僕の大好物です!
「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(2)

「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(3)

栄養になるものや、さっぱりしたものが食べやすかったです。
バナナ・ヨーグルト・ウィダーイン(プロテイン味)・豆乳・ゼリーなどを買ってきてもらい、冷蔵庫に常備していました。ただ、小さな冷蔵庫だったので、少しずつ買ってきてもらわないと、すぐ一杯になってしまいました。
「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(4)

「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(5)

お菓子では、「えびせんべい」は軽くて食べやすかったです。
「四階病棟の病室に戻って(続き2)」の添付画像(6)

入院患者へのお見舞いの手土産は、食事制限や患者の体調によりますが、軽めのお菓子がいい場合もあります。また、賞味期限は長い方が助かります。ご参考いたければと思います。


さて、手術後12日目からは理学療法士の方の指導で、リハビリが始まりました。
次回からは、この話を書きたいと思います。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12155141625.html

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四階病棟の病室に戻って(続き1)

どうも、フェニックスです。
昨日はブログ更新ができずすみませんでした。自分のペースで、少しずつ書き進めたいと思います。

今日は、前回記事の続きから書きます。回復・リハビリのフェーズ2の時期の話です。

この時期には、友人や会社の方とメールもできました。iPhoneの音声入力は、小声でもゆっくり話すと認識率は高く、便利でした。


一方で、ずっとベッドに横になっているために、背中や腰が痛くなりました。これは辛かったです。その影響もあってか、あまり熟睡できない日が多かったです。消灯が21時~22時と早かったことや、夜中も明るかったり、部屋の外の物音や声が聞こえてきたせいもあるかもしれません。
導眠剤のマイスリーは毎晩もらっていましたが、寝付けない日はナースコールを押して追加でもマイスリーをもらいました。それでも、明け方3時~4時に目が覚める日が多かったです。


メスを入れた心臓にはまだ負担が高いようで、じっとりした汗をかきました。また服用薬の調整中のために、血圧も高めでした。


手術後は水分制限がありました。はじめは一日1000ml(1L)。それが1500mlになり、手術後9日目には水分制限はなくなりました。ただし、飲んだ水分と尿の量は、退院まで記録し続けました。

体内の水分バランスと、むくみを見ながら、主治医が利尿剤を調整してくれるためです。ただ、夕食後に利尿剤を飲んだ時は、夜中にトイレに目が覚める回数が多く、あまり熟睡できなかったのが正直なところです。担当医の先生に話をしたら、ある程度むくみが落ち着いてきた段階で、夕食後の利尿剤はなくなりました。

〔写真〕水分量は、都度手書きでメモしました。
「四階病棟の病室に戻って(続き1)」の添付画像(1)

〔写真〕尿は、軽量カップを使って測ります。管理のためには仕方ありませんが、ちょっと面倒です。看護助手さんが、一日に2度ほど新しいものに交換してくれるのですが、最後の方は「尿カップ」が競馬の競争名か、どこかの地名のように聞こえてきました(笑)
「四階病棟の病室に戻って(続き1)」の添付画像(2)


このころは、少し動くと動悸がでやすくなりました。前に書いたようにドレーン(管)が抜けたために、動ける範囲が少しずつ広がったせいもあるかもしれません。ただ、家族とも長めの時間(1時間ほど)話続けると、疲れて息切れが始まる状態でした。
担当医に伺ったら、この時期は体内水分出すことが優先なので、比較的脱水に近い状態になっており、それも動悸の一因と説明いただきました。


手術後11日目には、担当医がエコー(超音波)を見て下さり、人工血管内の血液の流れも含めて、順調と言われ、安心しました。


回復・リハビリのフェーズ2の時期の話は、もう少し続きます。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154587020.html

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四階病棟の病室に戻って

どうも。フェニックスです。

前に書いた通り、手術後4日目にICUから四階病棟の個室に移動できました。もちろん、ベッドごと運ばれるのですが、あまり記憶はありません。

ICUでは、痛み止めの麻酔(医療用の麻薬)が使われていたせいか、ベッドの横からモニョモニョ気持ち悪いものが出てきた夢(幻覚?)まで見てしまいましたが、病棟に戻ると気分的にも、だいぶすっきりしました。


固形食も食べられるようになり、妻が持ってきてくれた、まい泉のヒレカツサンドは美味しかったです!カツは重いので、一口しか食べられませんでしたが、最高の味でした。
ちなみに、事前にT先生から「手術後は、なんでも食べて大丈夫です」と言われていました。塩分は自制していましたが、糖尿などでの食事制限がないのは幸いでした。
その後も家族がおかずの差し入れを持ってきてくれたおかげもあり、手術後には食欲もありました。

大腸も動き出したようで、大便も出るようになりました。点滴棒付でしたがトイレに行けるようになっていて、良かったです。


一方、胸の傷や切った骨は痛み、鎮痛剤が効いているうちはいいのですが、薬が切れるとむせ込み、苦しかったです。そのような時はナースコールをおして、鎮痛剤を追加してもらいました。

ドレーン(管)から出ている血は多いらしく、二度ほど輸血をしました。手術中も輸血をしたらしいのですが、追加での輸血です。また、尿の出があまり良くなく、結構むくんでいました。パンパンに張った足(足の甲やスネ)は痛いくらいでした。

また、サチュレーション(酸素飽和度)も低く、酸素マスクはつけている状態でした。


手術後の経過は、小さな山谷を繰り返しながらも、概ね順調に回復していきました。手術後6日には尿道の管が取れ、7日目には3本刺してあったドレーンが2本抜けました。手術後9日後には、最後のドレーンも抜けました。
すべてのドレーンが抜けるとは、身体への負担も減り、点滴がありつつも動きやすく、かなり楽に感じました。


少し長くなってしまったので、続きはまた次回書きます。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154582819.html

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個室のメリット

どうも。フェニックスです。

前回書いたように、ICU(集中治療室)から四階病棟の病室に戻る時は、個室を希望しました。
個室は決して安くはありません。一泊がシティホテルかそれ以上の個人負担となります。保険適用外です。

ただし、それを上回るメリットがあると思い、個室を利用しました。フェニックスが思ったメリットを書いてみます。

〔写真〕個室全体はこんな感じです。
「個室のメリット」の添付画像(1)

「個室のメリット」の添付画像(2)


◇気遣いが少なく、比較的静か
 四人部屋だと、カーテン一枚で区切られているだけなので、どうしても気遣いが必要です。また、他の患者さんへの医師や看護師の出入りなどの声も聞こえます。患者さんの物音も聞こえてきます。これらは、健康な状態だったら我慢すべきことかもしれませんが、手術直後のダメージが大きかったフェニックスにとっては、少しでもストレスは減らしたかったです。

〔写真〕iPad(YouTubeやGAO!)、iPodスピーカーを小さい音で使っていました。
「個室のメリット」の添付画像(3)


◇消灯時間がある程度融通が効く
 四人部屋だと、定時の消灯時間(21時)には部屋の電気は消されます。その後、各ベッドの上にあるライトはつけることができますが、あまり明るくはないです。また、自分のライトを消しても、他の患者さんがライトやテレビをつけていると、眩しく感じます。
 個室であれば、ある程度消灯時間は融通が効くので、21時半や22時くらいまでは、部屋の電気を点けていました。


◇トイレや洗面所が近くにある
 個室にはトイレ・洗面所が付いていました。手術後は少し歩くのにも精いっぱいな上に、点滴棒を転がしながら移動する必要もあります。四人部屋では、トイレや洗面所は共用のため、自分のベッドからトイレ・洗面所までの距離があったので、少しでも、トイレや洗面所が近くにあることが、手術後は助かりました。

〔写真〕トイレと洗面所は、こんな感じです。
「個室のメリット」の添付画像(4)

〔写真〕点滴器2台と、ドレーン(管)での血液排出管理器が付いた点滴棒。点滴やドレーンが身体から出ているのですが、この棒を引っ張りながらトイレに行きます。
「個室のメリット」の添付画像(5)


◇部屋のエアコンを、好きなタイミングで自由に調整できる
 手術後は、急に暑くなったり寒く感じたりしました。体温調整機能も低下しているのだと思います。食べると暑く感じ、疲れると寒く感じることが多かったです。その時に、部屋のエアコンを自由に温度設定できたのは助かりました。

〔写真〕エアコンは、0.5℃単位で微調整できました。
「個室のメリット」の添付画像(6)


◇面会の家族とゆっくりできる
 妻と父・母が交代で、面会に来てくれました。基本的には、看護師や看護助手(ヘルパー)の皆さまが看病をしてくれますが、シャワー・風呂に入る時の手助け、洗濯・乾燥などは、家族の助けが必要でした。また、手術直後は話す時間が多いことで、声を出すことがリハビリにもなります。
 長い時間面会してくれたこともあり、個室で家族とゆっくりできたのも良かったです。

〔写真〕個室出入口の外側。矢印のマグネットは赤色・黄色・白色があり、重症度を表していると思います。
「個室のメリット」の添付画像(7)


これらは、本当に個人的な意見ですが、少しでもご参考になれば嬉しいです。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154435772.html

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ICU(集中治療室)

どうも。フェニックスです。

このブログを読んでくださる方が少しずつ増えているようで、嬉しいです。ありがとうございます。


さて今日から、回復・リハビリについて書こうと思います。
まずは手術直後のICU(集中治療室)です。4つのフェーズのうちのフェーズ1です。


手術直後は、二階手術室横にあるICUで管理されます。家族の面会も制限されます。


手術当日は、手術が終わったあとに、妻と両親がICUに来てくれたとのことです。もちろん、フェニックスは麻酔が効いているので記憶がありません。その後家族は1時間ほど待機して、何もないことを確認して病院を出たそうです。


手術の翌日は、朝9時から家族の面会でした。この時も、フェニックスは全く記憶がありません。後から妻に聞いたところでは、家族の呼び掛けに眉毛を動かして反応はしたそうです。また、気管に呼吸器の管が入っていまいたが、自発呼吸が多いと医師から説明いただいたとのことです。


手術翌々日、朝早くに気管に入れた呼吸器の管を抜かれました。すごく苦しくて、もがいた記憶がかすかにあります。ただ、事前に体動制限の同意書にサインもしており、手足は縛られていました。
一方で、呼吸器の管を抜かれたことで目覚め、手術前にT先生から「麻酔が切れて目覚めたら、手術は成功したと思ってください」と言われたことを思い出し、「手術は無事成功したんだな。よかった。」と頭に浮かびました。

この日の朝9時には妻と父が面会に来てくれましたが、その時はベッドに傾斜をつけることで上半身は起き上がっており、父が驚いていまいた。フェニックスも、家族が来てくれたことや会話をしたこと、握手をしたことははっきり覚えています。


結局、手術してから4日後に四階病棟の病室に戻りました。医師からは、もう一日早くても大丈夫と判断されましたが、希望した個室を調整していただく関係で4日後になりました。


このように、ICUの記憶はあまりないのですが、呼吸器の管を抜いた後にウィダーインを甘くしたゼリーを飲んだことや、ベッドから落としても自己責任と看護師と約束した上でiPodを妻が持ってきてくれ、ゆったりした音楽を聴いていたことは覚えています。

こうして、手術直後にはフェニックスが知る限りでは大きなトラブルなく、四階の個室に戻ることができました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154426919.html

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回復・リハビリは、4つのフェーズの感覚

どうも。フェニックスです。

今日はたくさんの記事ですみません。もうすぐGWなので、お時間がある時に読んでいただければ嬉しいです。

TCPC手術を終え、ここからは回復・リハビリの話をしたいと思います。

回復は、心肺機能の回復と、筋力(とくに足)の回復がありました。個人的な感覚でグラフを作ってみました。医師や理学療法士など専門家に相談したわけではないので、誤りもあるかもしれません。(手書きのグラフで、見づらくてすみません)
赤グラフが心肺機能、青グラフが筋力を表しています。

「回復・リハビリは、4つのフェーズの感覚」の添付画像(1)


回復・リハビリは、退院までに4つのフェーズ(4段階)があるという感覚です。

フェーズ1は、手術直後のICUでの管理。病棟の病室に戻るまでの期間です。

フェーズ2は、病室に戻ってからリハビリ開始まで。

フェーズ3は、心肺機能もある程度回復し、リハビリも本格化して足が少し筋肉痛気味になるまで。

フェーズ4は、退院に向けての回復・リハビリの時期です。

退院後の自宅療養・仕事復帰はフェーズ5以降になります。


次回以降、フェーズ1から順に書いていこうと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154203936.html

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TCPC手術当日

どうも。フェニックスです。
今回は、手術日当日の話です。

手術日前夜から当日は、自分ではそれ程緊張しているつもりはありませんでしたが、緊張が無かったといえばウソになるかもしれません。

前日21:00の消灯時に入眠剤と下剤を飲み、眠ってしまいました。当日は夜中の午前2:00に目が覚めてしまい、眠れず、起きてしまいました。睡眠時間は5時間で、仕事をしている時はそれくらいの睡眠時間だったこともあり、少なすぎることはないのですが…。

手術後は数日ICUにいるため、病室の荷物はまとめて、いったんナースステーションに預けることになっていました。2:00に起きた後、周りに迷惑にならないようにガサゴソと荷物をまとめたり、音楽を聴いたりしていました。

午前6:00が病院の起床時間。7:00頃に軽い安定剤を飲んだら、ボーっとしてきました。8:00には妻と両親が病室に来てくれました。荷物の整理や病棟に戻る時は個室希望の話をしつつ、浴衣と下着に着替えました。8:45には病室を出て、手術室に向かいました。

二階にある手術室に入る手前に手術準備室があり、そこで浴衣と下着を脱ぎます(ボーっとした中での記憶ですが)。手術台のようなベッドに横になり、準備室から手術室に向かうのですが、もうそれ以降の記憶がありません。5時間睡眠の後に9時間経っていることと、安定剤が聞いてきたせいか、手術前に最後に記憶があるのは準備室から手術室に向かう廊下の天井でした。

麻酔科医のT先生にせっかく用意いただいた手術室でのベートーヴェンの一節も聞かずに、TCPC手術をしていただくことになります。

手術中、妻と両親は9時間ほど二階家族待ちスペースで待機してもらっていました。
「TCPC手術当日」の添付画像(1)


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154185012.html

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入院日から手術前日まで

どうも。フェニックスです。
今日は調子いいので、もう一つ記事を書きます。

「入院日から手術前日まで」というタイトルにしましたが、実質2日間です。つまり、入院日から3日後にはTCPC手術をしました。

※実は、一度目の入院では手術前日に左手が末梢神経麻痺になってしまい退院しています。麻痺が治った後に二度目の入院でTCPC手術をしました。心臓とは関係がないので、詳細割愛します。


さて、入院日は入退院窓口で手続き後、採血・レントゲン・心電図を取り、四階の病棟へ。エレベータ前で、病棟事務の方が待っていてくださいました。病室に案内されパジャマに着替えた後、病棟の担当医K先生、看護師、薬剤師などの方が来てくださり、説明や確認などいただきました。
まあまあバタバタな感じで、18時には夕食、19時前後にバイタル(熱・血圧・心拍数等)を取って、21時には消灯になりました。


手術前日(入院翌日)は、朝早くから執刀医T先生が一時間ほど、手術についての説明をしてくださいました。妻・両親・自分の4人で説明を聞いたのですが、3DCT(三次元画像で見られるのCT)や造影剤カテーテル検査の動画も交えて細かく説明してくださり、質問にも丁寧にお答えいただきました。

13歳のAPC法フォンタン手術依頼、27年ぶりの開胸になるので、癒着の剥離が一番ハードルが高いことも説明いただきました。ただ、T先生は「難しいですが、経験がありますので」と言ってくださったので、安心して手術に臨めました。

T先生が説明の最後に、「君は40歳とまだ若いし、これからもっと頑張ってほしい。そのために私たちは手術をする。」という言葉が心に響きました。


その後、病室に戻りしばらくすると、麻酔科医のT先生が病室に来てくださいました。麻酔アレルギーの確認のほか、手術室に入る時の音楽は何がいいか?など、リラックスさせてくださいました。

正午前には、経食道エコー検査をやりました。胃カメラも飲んだことが無かったのですが、口内や喉の麻酔のおかげで、そんなに苦痛はありませんでした。ただ、昼ごはんが延期され、お腹は空きました…。


このように、入院からあれよあれよと時間は経ち、手術当日を迎えました。


写真は、執刀医T先生が手術の説明をしてくださった面談室です。
「入院日から手術前日まで」の添付画像(1)


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154166998.html

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入院の持ち物 その3

どうも。フェニックスです。
入院の持ち物について、最後の記事です。


◇枕
 フェニックスは自宅では低い枕で寝ていますが、病院の枕は高めでした。長い入院生活、よく眠るためにも枕は使い慣れた物を持ち込みました。
 写真は、上が持ち込んだ自分の枕、下が病院の枕です。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(1)


◇マヌカハニーキャンディー
 手術後しはらくは、よく咳が出ました。喉が痛くなり、妻にマヌカハニーキャンディーを持ってきてもらいました。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(2)


◇耳栓
 病院は、消灯後も物音がします。消灯後に起きている患者や、その患者とやり取りする看護師の声も聞こえます。気になる場合は、耳栓も持っていったほうがいいかもしれません。フェニックスは、母が耳栓を持ってきてくれましたが、海外旅行の飛行機の中で使うもので防音効果はいいのですが、ベッドではつかえませんでした(横を向いて寝た時には、邪魔になってしまいました…泣)
「入院の持ち物 その3」の添付画像(3)


◇WiFiルータ、延長コード
 これは、病院によって持ち込み可否が分かれると思います。S病院では、病室でスマホを使っていても、WiFiルータを持ち込んでも、特に何も言われませんでした。(本当は、いけなかったのかもしれません)。WiFiルータは、ネットで見つけたレンタル店で借りました。
 iPad、iPhoneの動画を心ゆくまで楽しめた他、熊本地震の際はAbemaTVとネットで情報をキャッチアップできました。ですので、テレビ(有料)は入院中は一度も使いませんでした。
 また、WiFiルータ、iPadやiPhoneなどの電源取りのために、延長コードも持ち込みました。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(4)


◇iPod、スピーカー
 手術直後に寝ているだけの時は、よくiPodを聞きました。妻が癒し系の音楽やクラシックをiPodに入れていたので、彼女のiPodを借りました。詳しくはまた書きますが、フェニックスは個室にいたので、iPodをスピーカーにつなげて、小さめの音でも聞いていました。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(5)


◇ディフューザー
 妻がアロマが好きで、ディフューザーを持ってきてくれました。ラベンダーやオレンジ、グレープフルーツの香りに癒されました。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(6)


持ち物編が、思った以上に長くなってしまいました。
次回からは、入院日以降の話を書きたいと思います。

それでは、また。


【追記】
持ち物で、もう一つ大切なものを書き忘れていました。
◇椅子のクッション
座れるようになってからは、ベッドの上よりも椅子座っていることの方が多かったです。しかし椅子のクッションが薄かったため、一日中椅子に座っていると、尾てい骨が痛くなりました。そこで、自宅にあったクッションを妻に持ってきてもらい、使っていました。
「入院の持ち物 その3」の添付画像(7) 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154154277.html

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入院の持ち物 その2

どうも。フェニックスです。
先ほどに続き、入院の持ち物をご紹介します。


◇ドライアー
 病院のを借りることができるかもしれませんが、軽くて風力が強い(髪の毛がすぐ乾く)、使い慣れたものを持っていきました。
「入院の持ち物 その2」の添付画像(1)


◇ポーチ
 心電図モニターを入れるのに便利でした。レンタルしたパジャマにもポケットはありましたが、浴衣タイプのものは左にしかポケットがなく、TCPC手術の時に埋め込んだペースメーカに当たって痛かったです。
「入院の持ち物 その2」の添付画像(2)

 ちなみに、フェニックスは入院中ずっとパジャマをレンタルしました。術後の処置で血などで汚れる可能性があることと、洗濯物を減らすためです。週に2度ほど洗濯したものに交換してくれましたし、値段も一日100円とリーズナブルでした。
「入院の持ち物 その2」の添付画像(3)


◇ノートとペン
 医師からの説明、自分のスケジュールなど、いろいろなメモを取るのにノートとペンはあった方がいいと思います。このブログも、実は入院中に書いたノートのメモも参考にしながら書いています!!
「入院の持ち物 その2」の添付画像(4)


◇孫の手
 手術直後はペッドに仰向けで横たわっている時間が多く、背中や腰が痛くなります。また、ベッドから起き上がれるようになってからは椅子に座っている時間が多く、お尻が痛くなりました。孫の手のようなものはあった方がいいと思います。写真は、妻の病院の売店で買ってきてくれたものです。
「入院の持ち物 その2」の添付画像(5)


◇海苔とふりかけ
 病院食は、おかずが少なく、ご飯(米)が多かったです。おかずを食べ終わってしまった後に、海苔やふりかけでご飯を食べました。ただ、毎食250gのご飯が出ましたが、全部は食べきれませんでした。フェニックスは食事制限はなかったのですが、食事制限がある方は注意して下さいね。
「入院の持ち物 その2」の添付画像(6)


◇靴とスリッパ
 入院の案内には、「スリッパではなく、かかとのある室内履きを用意ください」とあります。特に、お年寄り向けの案内だと思います。フェニックスは、スリッパと、かかとのある靴を両方持っていき、病室内はスリッパ、リハビリや一階売店への買い物などは靴、と使い分けていました。ずっと靴を履いていても、足がむくんでしまいます。

「入院の持ち物 その2」の添付画像(7)


持ち物のについて、もう少しあるのですが、別の記事にします。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154148769.html

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入院の持ち物 その1

どうも。フェニックスです。

カタイ話が続いてしまったので、今回は写真も多用してリラックスしたブログを書きます。
入院中の持ち物についてです。「入院の案内」にも書かれていますので、それに加えて、これがあったら便利と思ったものを中心にご紹介します。

フェニックスの個人的な趣味や、病院によって持ち込み可否が分かれるものもあると思いますが、参考にしてみてください。


◇時計
 「〇時にレントゲン室に行ってください」「〇時から食事です」など、病院での一日のスケジュールはある程度決まっています。そのため、時間を意識するのは必要なことです。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(1)


◇スマホケース
 病院のベッドや台から、万一スマホを落とした時にも画面が割れないように、スマホケースを用意しました。妻が100円均一で買ってきてくれました。手術後、集中力もあまりないので、いつも以上に不注意になっているので、スマホを落とす確率も高くなる人もいるらしいです。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(2)


◇マスク
 病院は乾燥します。また、週末には多くの見舞客も来ます。そのために、マスクが必要でした。ただ、血中の酸素飽和量が少ないうちはマスクをするとさらに息苦しくなるので、つけたり外したりしていましたが。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(3)

 また、大きなクリップをTVモニターにつけ、そこにマスクを引っかけていました。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(4)


◇アイマスク
 病院は消灯後でも、何かと明かりが漏れます。真っ暗な中で寝るのになれたフェニックスにとっては、アイマスクは必要でした。ちなみに、このアイマスクは入院・手術にあたり、会社の同僚からいただきました。自分では持ち物リストに入れていなかったので、大変助かりました。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(5)

 夜寝るとき、酸素チューブにアイマスク・マスクで寝ると、こんなヒドイ状態になっていました(笑)
「入院の持ち物 その1」の添付画像(6)


◇ワセリン
 病院が乾燥しやすいことから、唇も渇きやすくなります。フェニックスは、いつも使っているワセリンを持っていきました。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(7)


◇ウェットティッシュ
 術後一週間くらいは、傷口に菌が入らないように特に注意が必要です。この時はまだ、点滴やドレーン(管)がついたり体力が落ちていたので、洗面所に行くのも一苦労でした。ウェットティッシュは、食事前に手をふくなど、結構使いました。
「入院の持ち物 その1」の添付画像(8)


持ち物編が意外に長くなってしまったので、記事を分けますね。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154133095.html

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手術前のカテーテル検査

どうも。フェニックスです。

昨日書いたように、TCPC手術を受ける腹をくくったフェニックスですが、手術をしていただくS病院で、まずは循環器小児科医の外来にかかりました。先天性心疾患なので、40歳になっても「小児科」にかかるのです…。外来担当のB先生は穏やかな方で、また面識もあったので、安心でした。

TCPC手術から半年ほど前に、S病院で造影剤カテーテル検査を受けました。
大きな手術だけに、しっかり心臓の状況を検査しておくことは大切です。この時の病棟での担当医K先生が、TCPC手術でも担当医になってくださいました。自分とあまり世代は変わりませんが、説明や質問への答えなど、丁寧にコミュニケーションしてくださる信頼のおける先生でした。


さて、カテーテル検査後の外来で、医学的なデータと共に改めて手術の必要性を、外来担当のB先生から話をされました。その日「入院のご案内」を受け取り、自宅に戻りました。

いよいよ、TCPC手術に向けての入院です。

「手術前のカテーテル検査」の添付画像(1)

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12154130715.html

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TCPCコンバージョン手術の腹をくくるまで

どうも。フェニックスです。

今日は、フェニックスがフォンタン手術・TCPCコンバージョンを受ける腹をくくるまでのことをお話ししたいと思います。

フェニックスは、いますぐTCPCコンバージョンをしないと動けなくなってしまうとか、体調がすごく悪かったというわけではありませんでした。むしろ、体力があるうちに、積極的にTCPCコンバージョン手術を受けましょうと、主治医に言われ、決断しました。


話を少し戻します。

22歳で頻拍(発作性上室性頻拍、心房粗細動)になり、23歳でカテーテル・アブレーションを受けたことは、以前書いたと思います。その後、27歳で洞機能不全やタンパク漏出性胃腸症になりペースメーカーを埋め込みましたが、頻拍は治まりました。
正確に言うと、疲れが溜まったり、お酒を飲みすぎたり、気圧の急な変化があったりすると、多少の頻拍は出ましたが、ワソランという抗不整脈剤を頓服で飲めば、大ごとにはなりませんでした。

しかし、37歳でまた頻拍が多く出るようになり、翌年、再度カテーテル・アブレーションを受けます。それとは別に、APC型フォンタン術を受けてから10年以上経つので、長期経過確認のため、造影剤を使ったカテーテル検査も受けました。

循環器小児科の主治医からの診断は、「心臓各部屋や各血管の圧、血流は悪くはない。ただし、右心房は肥大している。頻拍が多く出るのは、右心房に負担がかかっているためと考えられる」とのことでした。
ただ、主治医は急に手術を迫ることはなく、3ヶ月ごとの定期通院の際に何回かに分けて、TCPC手術を受けることが長期では大事なことを丁寧にコミュニケーションしていただきました。

身近に、APC型フォンタン手術を受け、その後TCPCコンバージョンを受けて、元気になった例も知っていました。また主治医からは、手術は経験豊富なS病院のT先生に執刀いただける話もいただきました。


ですので、TCPC手術を受けることに絶対的な否定はなかったのですが、やはり13歳のAPCフォンタン手術の記憶もあり痛く辛い思いをすることが嫌だったのと、会社での仕事の調整や上司や同僚への報告・相談は気がかりでした。
また、TCPC手術を40歳で受けるので、自分がどれくらいのペースで回復できるのかが判らないのも正直なところでした。

会社では、上司に入院・手術の半年ほど前から少しずつ話をし、仕事で迷惑をかける同僚にも少しずつ話をしていきました。多くの方から、「身体が第一優先。仕事は気にせず、休職中は手術を乗り越えて、リハビリに専念してください。仕事はなんとかなります。そして、一日も早く会社に戻ってきてください」と激励いただきました。本当にありがたかったです。

こうして、TCPC手術を受ける腹をくくり、具体的に入院・手術の話が進んでいきます。


今回も長文になりましたが、読んでいただいた皆様ありがとうございます。
それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12153838144.html

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フェニックスの心臓の遷移

どうも。フェニックスです。

先ほどのブログで、フェニックスのことを心臓病のことも含め自己紹介しましたが、やはり言葉だけでは伝わりづらい点も多いので、心臓の図を載せてみます。
医学的には素人が書いた図なので、詳細は異なる点もあるかと思いますが、ご参考ください。
ちなみに、1~3枚目は父が書いたものです。4枚目は自分で書きました。

(1)正常な心臓
 心臓が4部屋あり、「全身→右心房→右心室→肺→左心房→左心室→全身」と血液が循環します。
「フェニックスの心臓の遷移」の添付画像(1)

(2)フェニックスの生まれた時の心臓(シャント手術後含む)
両大血管右室起始(大動脈と肺動脈が共に右心室から出ている)、肺動脈狭窄、大血管転位がありました。大動脈と肺動脈を人工血管で」つなぐのがシャント手術です。肺動脈に流れている静脈血の一部を肺に再度送ることで、血中の酸素が補充されるように手術しました。
「フェニックスの心臓の遷移」の添付画像(2)

(3)フォンタン手術(APC法)の後
右心房と右心室の間をテフロンのような人工物(弁座)で閉じ、右心房から肺に静脈血が流れるような手術です。「全身→右心房→肺→左心房→左心室→全身」と血液が循環します。
手術後の長期予後は、かなりの確率で心房の頻拍が起きることが分かってきたようで、現在はこの術式はあまり行われていないと聞いたことがあります。
「フェニックスの心臓の遷移」の添付画像(3)

(4)フォンタン手術(TCPCコンバージョン)の後
右心房への圧がかかり、次第に右心房が肥大してしまいまいました。カテーテルの造影剤の動画を見ても、血流が滞っているのが分かります。頻拍も出るようになりました。また、右心房の圧が上/下大動脈にもかかり、エネルギー効率も悪いとのことです。
そこで、右心房の一部を切り取るとともに、上/下大静脈を、人工血管を使いつつ直接左/右肺動脈につなぐことで、「全身→肺→左心房→左心室→全身」の血液循環にすべく、今回手術を受けました。
「フェニックスの心臓の遷移」の添付画像(4)

明日からは、このブログのメインテーマの1つである、TCPCコンバージョン手術・入院について書いてみたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12153502632.html

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はじめまして

はじめまして。
フェニックスと申します。もちろんペンネームです…笑。


簡単に自己紹介です。

1976年、東京生まれ。
生まれつき、先天性心臓病で、両大血管右室起始・肺動脈狭窄・大血管転位という診断名がつきました。

1歳半でブレロック-タウジッヒ シャント手術。姑息手術なのでチアノーゼは残り、幼児から中学生までは運動制限もありました。

13歳(中学2年)でフォンタン手術。これは、APC法(心房・肺動脈連結法、Atriopulmonary connection)と呼ばれる術式で、「全身→右心房→肺→左心房→左心室→全身」の血液循環となりました。

22歳で、発作性上室性頻拍(PSVT)や心房粗細動(AF,af)になってしまいました。翌年、カテーテル・アブレーション。その後、洞機能不全でペースメーカーを埋め込んだり、タンパク漏出性胃腸症になって回復したり、いろいろありました。

そして、40歳で再度フォンタン手術。今回は、TCPC法(大静脈・肺動脈連結法(Total cavopulmonary connection)と呼ばれる術式で、「全身→肺→左心房→左心室→全身」の血液循環になりました。

仕事は、教育関係の会社で主に管理会計の業務をしています。


「はじめまして」のブログで、医学的な用語が多くてすみません。

近年、成人した先天性心疾患者が、子どもの先天性心疾患児より多くなったらしいです。そのこともあり、現在の成人した先天性心疾患の皆さん、先天性心疾患の赤ちゃんやお子さん、その保護者の方に、少しでも参考になればと思い、ブログを開設しました。

ただし、このブログに書くことは、フェニックスの個人的な経験ばかりです。医学の発展や患者の病気や個人差によって、大きく変わることはたくさんあると思います。その点は、悪しからずご理解お願いします。

少しずつになるかもしれませんが、ブログを更新していきたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12153477880.html

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