フェニックスの日記(まとめて一括表示 / 4ページ目) - 『闘病ログ』 ~ 病気に関するブログ集めました ~

7ヶ月前に更新 / 68件
フェニックスの日記

「フェニックスの日記」のカバー画像

年齢 / 性別

42歳 / 男性

闘病期間

0歳~

病名

両大血管右室始起症
肺動脈狭窄
大血管転位
発作性上室性頻拍
心房粗細動
洞機能不全症群
蛋白漏出性胃腸症

ブログの説明

成人先天性心疾患(両大血管右室起始)で、不惑の歳にフォンタン手術・TCPCコンバージョンを受けたフェニックスの日記です。

ブログのURL

http://ameblo.jp/fenix1976

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運命(生まれたての頃)

どうも、フェニックスです。

今日からは、フェニックスの昔のことを少し書いてみようと思います。


フェニックスは、東京都のA病院で生まれました。産まれつきチアノーゼが強かったので、すぐに保育器の中に入れられたそうです。健常の赤ちゃんは廊下から見えるガラス窓に並んでいるのですが、保育器は奥の方にあるので、フェニックスの顔は廊下からは見えなかったと親が言っていました。

A病院では心臓疾患の処理は難しかったため、A病院の産婦人科医がすぐにJ2病院の小児科医に連絡を取り、転院したそうです。J2病院でも小児科から心臓血管外科に転科し、1歳半でブラロック タウジッヒ シャント手術を受けました。フェニックス自身は、まったく記憶がありませんが…


親からあとで聞いた話では、フェニックスと前後してA病院で生まれた赤ちゃんも心臓が悪かったらしいのですが、チアノーゼが無かったために保育器には入れられず、結果的に亡くなってしまったそうです。

「あなたは心臓病が重くてチアノーゼがすぐに出たから助かったのよ」と、親からよく話を聞きます。20年前の医療水準を考えると、生まれた病院や転院した病院、そしてその場その場で適切な処置や判断をしてくださった医師がいたからこそ、命が救われ他のだと思います。


40年生きてこれて、さらに元気に生きられることに、運命を感じます。感謝して、日々を大事にすごしたいと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12162183956.html

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ペースメーカのこと

どうも、フェニックスです。

今日はペースメーカの話です。
フェニックスは、かれこれ13年間ペースメーカを入れています。

きかっけは、27歳の時に洞機能不全症候群(洞不全症候群)になったことです。
洞機能不全とは、心臓を動かす神経の大元となる洞結節という部分がうまく機能しない症状)になることです。松山赤十字病院 心臓血管外科 山木医師のわかりやすいスライドを見つけましたので、引用させていただきます。

「ペースメーカのこと」の添付画像(1)

「ペースメーカのこと」の添付画像(2)

TCPC手術にあたっては、ペースメーカも入れ替えました。いままでは右心房のみのペーシング・センシングで大丈夫でしたが、TCPC後は右心房と心室両方へのペーシング・センシングが必要になったためです。以前は左肩に入れていましたが、執刀医の判断で、今回はお腹に入れることになりました。

ペースメーカのモードでは、TCPC前がAAI、TCPC後がDDDと呼ぶようです。
同じく、山木医師の資料を引用させていただきます。

「ペースメーカのこと」の添付画像(3)
「ペースメーカのこと」の添付画像(4)


今回のペースメーカは、以前とはメーカーも違うのですが、大きく機能が更新されています。その一つに「遠隔モニタリング」があります。

Medtoronic(メドトロニック)社のパンフレットには、このように説明されています。
・遠隔モニタリングシステムは、患者さんやご家族の方が携帯電話回線を通じて、植込み機器の情報をご自宅などから担当医や医療スタッフ等に送ることができるサービスです。

・植込み機器の情報を読み取り送信を行う「モニタ(データ送信器)、そして送られてきた情報を一括管理する「サーバ」で構成され、担当医や医療スタッフ等は、パソコン画面から情報を確認することができます。
「ペースメーカのこと」の添付画像(5)

「ペースメーカのこと」の添付画像(6)

入院中、看護師から遠隔モニタリングの説明がありました。また、「モニタ(データ送信器)」は退院後1週間くらいで送られてきました。
「ペースメーカのこと」の添付画像(7)

遠隔モニタリングの日は、あらかじめ指定されるので、その日にデータ送信を行います。
使い方は簡単です。リーダー(パソコンのマウス形のもの)を持ち上げて、お腹のペースメーカの上に当てます。シャツを着ていても大丈夫です。あとは画面の指示にしたがって、数秒間リーダーをお腹に当てていれば完了です。

数日後には、確認(問題なし)のハガキも送られてきました。
「ペースメーカのこと」の添付画像(8)


ペースメーカ外来は半年に一度ですが、前回外来から3ヶ月目には遠隔モニタリングでペースメーカや心臓の脈の状況も確認してもらます。


高齢化社会でペースメーカを入れるお年寄りも多くなり、特に病院から遠くに住む方にとっても、便利で安心できる仕組みだと思います。
ITの医療への応用、本当にすばらしいと思います。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12160894911.html

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病院でのボランティア

どうも、フェニックスです。

フェニックスがTCPC手術をしたS病院では、エントランスや受付にボランティアの方もいらっしゃいました。リタイヤされたシニア層の方が多かったのですが、みなさん笑顔で接していただきました。

この方々にお会いして、前に読んだ本を思い出しました。

『あなたの仕事は「誰を」幸せにするか?---社会を良くする唯一の方法は「ビジネス」である』
「病院でのボランティア」の添付画像(1)

著者の北原茂実氏は、脳神経外科を専門とする医師です。東大医学部卒業後、三井記念病院・都立府中病院・東大附属病院・帝京大附属病院で経験を積んだあと、北原神経外科病院(北原国際病院)を開設されたそうです。


北原氏は、著著の中で病院ボランティアについて、このように書いています。(以下、引用です)

・医療とは「いかによく生き、いかによく死ぬか」を総合的にバックアップすること、つまり人生を支援する総合生活産業なのです。

・ボランティアとして働いてもらう代わりに、病気になった時には療養費やその他費用を減額する。家族が入院した時には、入院費やその他の費用を減額する代わりに、ボランディアとして働いてもらう。
病院側としては人件費の削減につながりますし、医療職スタッフの負担は大幅に軽減され、本来の業務に専念してもらうことができます。これは医療の質を高めるためにも欠かせないことです。

・医療とは、医師から与えられるものではなく、自分も誰からに与えることができるものだと理解しましょう。

・自分自身の健康についてもまったく同じで、病院でボランディア活動をすることによって、病気や健康管理に関する正しい知識を身につける。
これからの病院は、医療を提供する場であると同時に、生活に根ざした医療を学んでもらう、ワークショップような役割も果たしていくべき


S病院でもボランティアの方も多く、北原氏の主張とは異なるところもあるかもしれませんが、地域病院としてうまく機能していると感じました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12158122547.html

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退院後2週間のリハビリ

どうも、フェニックスです。

TCPCコンバージョン手術を受けて無事退院し、今日で2週間経ちました。


退院翌日から今日まで、毎日リハビリを兼ねた散歩(外出)をしています。リハビリが、今の自分にとって一番重要なことです。
近くのコンビニやスーパーへの買い物をしたり、小川沿いを散歩したり、バスに20分くらい乗ってショッピングモールに行ったりしています。

退院直後は、ちょっとした外出でも外が眩しく感じ、歩行者や自転車が少し怖い感じがしました。みんな「普通の」速さで動いているのですが、病院内でのゆっくりしたスピードに慣れたフェニックスにとっては「速く」感じました。
何回か外出すると、次第にその速さにも慣れ、怖さも薄らいでいきました。

また、はじめは30分くらいの外出でも疲れを感じたり少し息切れをしたりしましたが、最近は多少の休憩を入れながら2時間くらいは外出できるようになりました。ただし、それ以上の時間になると息切れをしてしまい、自分の心肺機能が回復途中にあることを、改めて自覚します。


もう一つのリハビリが、シャワーやお風呂です。特にお風呂は、身体や頭を洗った後に湯船で半身浴をして上がると、息苦しさを感じます。シャワーの方が身体への負荷は少ないです。GWは東京は晴れて暖かい日が続いたので、最近はシャワーの日が多いです。

シャワーやお風呂の時は、頭や顔を洗う際にお湯をかぶると息苦しくなりやすいです。ですので、フェニックスは最近は、身体を先に洗った後、頭と顔を洗うようにしています。そうすれば、息苦しい時間が少なくなる感じがします。


今日はつれづれな記事になってしまいましたが、最近の様子もお伝えしたく記事を書いてみました。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12157424010.html

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医療費の自己負担額

どうも、フェニックスです。
今日は医療費について書こうと思います。

TCPCコンバージョン手術では、考えていた以上に医療費は少なく済みました。(もちろん、個室代は別ですが)


フェニックスは民間企業に勤めているので、その会社の健康保険組合に入っています。
以前のペースメーカ埋め込み手術やカテーテル入院では、健保に申請をして、限度額適用認定証を受け取っていました。
限度額認定を使うと、月8万円強の自己負担でした。ただし、月割りなので足かけ二ヶ月になってしまう場合は、16万円以上の出費となります。
「医療費の自己負担額」の添付画像(1)


しかし、2015年3月に、厚生労働省専門家委員会が両大血管右室起始も難病指定の対象となり、2016年7月から助成が始まりました。

他の先天性心臓病も、このタイミングで難病指定の対象になったそうです。
・総動脈幹遺残症
・修正大血管転位症
・完全大血管転位症
・単心室症
・左心低形成症候群
・三尖弁閉鎖症
・心室中隔欠損を伴わない肺動脈閉鎖症
・心室中隔欠損を伴う肺動脈閉鎖症
・ファロー四徴症
・両大血管右室起始症
・エプスタイン病

このニュースを見て、S病院のソーシャルワーカーの方に相談し、医師に診断書を書いていただき、TCPC手術の前に市役所に難病指定申請を提出しました。受給者証発行までに、2~3ヶ月かかりましたが、手術の前には受給者症を手にすることができ、月1万円のみの自己負担(食事代等除く)でした。
「医療費の自己負担額」の添付画像(2)


ある意味、国の難病指定追加と、個人的な手術のタイミングが合ってラッキーでした。
ただ制度はよく変わるものなので、関連のニュースは関心を持ち続けたいと思います。

それでは、また。


追記
ここに書いた自己負担額は、あくまでフェニックスのケースです。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12157138784.html

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社会学から先天性心疾患へのアプローチ

どうも、フェニックスです。

フェニックスは以前、法政大学社会学部S先生からお声をかけていただき、S先生のゼミナールの大学生・大学院生たちに自分の経験を話したことがあります。


法政大学のホームページでS先生(教授)が紹介されています。

◇専門領域・研究テーマ
社会学理論・文化社会学(特に、自己と他者をめぐる語りの社会的条件をめぐる研究)

◇主な業績・著書
『眼の奥に突き立てられた言葉の銛-目取真俊の<文学>と沖縄戦の記憶』(晶文社、2013年)/『村上春樹と物語の条件』(青弓社、2009年)/『ケアとサポートの社会学』(三井さよとの共編、法政大学出版局、2008年)

◇所属学会などの学外活動
日本社会学会、関東社会学会

S先生は、2005年から2010年までではフェニックスを含む14名の先天性心疾患患者にヒアリングをされたそうです。フェニックスも2時間弱くらい話をさせていただき、先生と10人以上の大学生・大学院生に聞いていただきました。このような機会は初めてでしたが、大学で社会学を研究されている方々からも先天性心疾患者について興味を持っていただくことは、患者にとっても嬉しく感じました。


S先生方のアウトプットの1つに、社会志林(法政大の論文冊子)への論文があるそうで、後日、該当部分を送っていただきました。そこからいくつかご紹介します。

◇先天性心疾患とともに生きる人々の生活史と社会生活~成人への移行過程において直面する諸問題を中心として~ (2010年9月発行)

・成人となって、とりわけ「体調面での変化」を経験した心疾患者だちは、現在から未来へと進んでいく「時間」の受け止め方、時間的な経験の形において、特徴的な傾向を持っているように思われるのである。

・それを強く感じるのは、インタビューの中で、次のような二つの「語り方」に出会う時である。ひとつは、「体力的に落ちている」という語り方。(中略) もうひとつは「いつ何が起こるか分からない」「これからどうなるか分からない」という「見通し」の成り立ちの難しさを強調する語りである。

・先天性心疾患者へのインタビューにおいて強く感じさせられたことは、それぞれにバランスを異にしながらも、「予測可能性」や「展望可能性」がうまく確保されない状況を、彼ら/彼女らが生き続けているとうことである。

・「予測可能性」の成り立ち難さが最も際立った形で表れてくるのは、「不整脈」の発作に関する語り口においてである。(中略) 他方、「展望不可能性」を語る言葉は、「先行例がない」という形で示されることが多い。


◇生活史上の出来事としての再手術~フォンタン術後を生きる二人の先天性心疾患者の語りから~(2014年9月発行)

・個々の患者は、身体的な影響の水準だけではなく、自分自身の”暮らし”に及ぼす効果をも含めて、外科的介入に伴うリスクと負担を引き受け、同時にその成果を強く期待しながら再手術に臨む。
 そこには体調の改善だけではなく、それぞれが生きている物語の継続が賭けられている。医療技術は、個々の生活の文脈の中で、その人の「生活史上の作業」を支援するものとして提供されなければならない。

・フォンタン変換という新たな技術は、先天性心疾患者の生活を、良好な状態で長く存続されることを可能にするものとして導入されている。
 しかし、その技術の適用がそれぞれの人の生活史の継続を支えるものとなりうるかどうか。それを見極めるためには、一人ひとりが生きている「物語」と「共に考える」ことが求められている。


引用が少し長くなってしまいました。ただ、フェニックスがそれまでに何となく考えていたことや感じていたことがはっきりと書き表され、同時に他の心疾患者も似たように思っていたことを、改めて認識できてよかったです。

これからも先天性心疾患について、社会学者など医療以外の分野の方々にも関心の輪を少しでも広げていければと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156715380.html

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先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史

どうも、フェニックスです。

今回は、前回の記事で少し触れた先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史について書いてみたいと思います。

◇先天性心疾患者数の現状

まずは、基礎データです。
「先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史」の添付画像(1)
・近年の日本では、毎年100万人の赤ちゃんが生まれていて、約1%(1万人)に先天性心疾患があります。
・ただし医療の飛躍的な進歩により、先天性心疾患により死亡する赤ちゃんや児童の数は劇的に減少しています。

そして、先天性心疾患者数の推移です。
「先天性心疾患数の現状と、フォンタン手術の歴史」の添付画像(2)
・出生後から20歳頃までの患者死亡数は激減し、成人できる心疾患者が増えています。
・1997年には、幼児よりも成人の人数の方が多くなりました。

(引用元)大阪医科大学 医Web


◇フォンタン手術の歴史
フェニックスは1976年生まれで、1989年にフォンタン手術(APC法)を受けています。ちょうどフォンタン手術の歴史と共に自らの手術を受けてきたように思います。
生まれた年や場所が違っていたら、手術が受けられなかった可能性も高いです。

1970年~1980年代後半 心房・肺動脈連結法(Atriopulmonary connection, APC法)
 ・フォンタン原法,右房血を肺動脈へ

1988年~ 大静脈・肺動脈連結法(Total cavopulmonary connection, TCPC法)
 ・1988年~ 側方トンネル法(Lateral tunnel TCPC: TCPC-LT法)
  SVC-肺動脈吻合+IVC-心房側壁を介して肺循環へ

 ・1990年~ 心外導管法(Extracardiac TCPC: TCPC-EC法)
  SVC-肺動脈吻合+IVC-人工血管を介して肺循環へ
  手術時間が比較的短い、術後心機能が良い、術後に不整脈の発生が少ないなどの利点がある。

(引用元)ウィキペディア


このように歴史を振り返ると、心臓が悪いながらも、医学的にも運に恵まれた星の下に生まれてきたのだと、改めて実感します。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156385500.html

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退院後

どうも、フェニックスです。
ブログを読んで下さっている皆さま、どうもありがとうございます。

フェニックスがフォンタン手術 TCPCコンバージョンをしたのは、実は先々月の下旬でした。1ヶ月ほど入院して、先月下旬に自宅に戻りました。退院して、まだ2週間弱しか経っていません。


自宅に戻ってからは、毎日30分~1時間ほど、近くのスーパーやコンビニ等に散歩に出かけています。また、足のかかとを上げて10回つま先立ちを3回(合計30回つま先立ち)を、一日2~3セットやっています。
一歩一歩ですが、心臓の調子も足の筋力も回復に向かっている感じがします。

先週は、退院後の外来があったのですが、レントゲン・心電図・血液検査を含めての診断結果は順調でした。

ただし、まだ骨が付いていないために重いものは持ってはいけません。
また、一昨日はバスで20分くらいのところにあるショッピングモールに行ったのですが、1時間~1時間半買い物をしたら、結構疲れました。


このブログは、フェニックスが入院・手術の記憶が新しいうちに残したいと思い、毎日いくつかの記事を書いていました。これからは折に触れて、近況を書きたいと思います。


一方で、先天性心疾患患者は小児よりも成人の方が多くなっていること、先天性心疾患患者の社会生活、医療費の問題など、いくつかお伝えしたいテーマもあります。それらについても、少しずつ書いていきたいと思います。


今後も「フェニックスの日記」をよろしくお願いします。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156382462.html

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TCPC手術前後で心音が変わった

どうも、フェニックスです。

今回は、TCPC手術の前後で心音が変わったという話です。


瀬戸内海・豊島(てしま)に、「心臓音のアーカイブ」という現代アートがあります。
受付を済ませて奥の部屋に入ると、そこは真っ暗です。そして時々、重低音に合わせて光がフラッシュします。その音は、アーティストが収集した世界のさまざまな人の心臓音なのです。

〔写真〕心臓音のアーカイブ 建物外観
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(1)


心臓音のアーカイブでは自分の心臓音も録音でき、その場で聞くこともできます。また有料でCD化してくれます。
フェニックスは数年前に、この現代アートを訪れ、CDも買いました。


そのCDの心音(TCPC手術前)と、TCPC手術後に聴診器(素人用)で聴いた心音は、リズムが違いました。
血流が「全身→右心房→肺→…」から「全身→肺→…」に変わっているのですが、心音のリズムも変わったことを発見できたのは、面白かったです!!


また、豊島・心臓音のアーカイブに行って、自分の心臓音を録音し、CDを作りたいと思います。


豊島は、豊島美術館に加え、スプツニ子さんの豊島八百万ラボも新たにできたそうで、行くのが楽しみです。

〔写真〕豊島美術館。こちらも以前行ったことがありますが、素晴らしい空間でした。
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(2)

〔写真〕豊島八百万ラボ。スプツニ子さんがどのような現代アートを創られたか、楽しみです。
「TCPC手術前後で心音が変わった」の添付画像(3)


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156063090.html

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自分の第一の主治医は自分

どうも、フェニックスです。

今回は、自分の体調管理について書いてみようと思います。

生まれつき心臓が悪かったフェニックスは、小中学校では運動会・体育祭は見学することが多かったり、遠足に父が同行して途中でおんぶしてくれたりしました。また、高校では囲碁部でスポーツはしていませんでした。

そのような中で、自分の健康管理は自分自身で行うということが、自然と身に付きます。


特に22歳で頻拍が起きた時には、フォンタン手術(APC法)の遠隔期には頻拍が起きる確率が高いことも、頻拍のメカニズムである心臓の刺激伝導系の経路も、当時通院していた病院では医者も看護師も教えてくれませんでした。
そこで、自分で専門書の入門編を買い、いろいろ調べました。

「自分の第一の主治医は自分」の添付画像(1)

いまでは、WEBに様々な情報が載っていたり、AED(自動体外式除細動器)が多く設置されていたり、芸人Mさんが亡くなった際に心臓の刺激伝導系についてもTV報道があったりと、ずいぶん変わったと思います。

フェニックスは、TCPC手術にあたっても、看護師が読むような「心臓血管外科ケアマニュアル」もざっと目を通しました。


自分で自信の身体・心臓に関する医学の初歩の知識を得て、医者や看護師に相談すると、それに応じた説明はいただけます。
それと並行して、四季ごとの過ごし方にも注意できるようになります。気温や気圧の変化による体調変化や、水分の摂り方などが工夫できるようになりました。


このような意味で、言い過ぎかもしれませんが、自分の第一の主治医は自分だと考えています。そして通院の際は、自分の体調や状況、感覚について、適切な言葉で外来の主治医に伝えることが大切だと思います。


それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156050809.html

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