社会学から先天性心疾患へのアプローチ - フェニックスの日記 - 『闘病ログ』 ~ 病気に関するブログ集めました ~

5ヶ月前に更新 / 68件
フェニックスの日記

「フェニックスの日記」のカバー画像

社会学から先天性心疾患へのアプローチ

どうも、フェニックスです。

フェニックスは以前、法政大学社会学部S先生からお声をかけていただき、S先生のゼミナールの大学生・大学院生たちに自分の経験を話したことがあります。


法政大学のホームページでS先生(教授)が紹介されています。

◇専門領域・研究テーマ
社会学理論・文化社会学(特に、自己と他者をめぐる語りの社会的条件をめぐる研究)

◇主な業績・著書
『眼の奥に突き立てられた言葉の銛-目取真俊の<文学>と沖縄戦の記憶』(晶文社、2013年)/『村上春樹と物語の条件』(青弓社、2009年)/『ケアとサポートの社会学』(三井さよとの共編、法政大学出版局、2008年)

◇所属学会などの学外活動
日本社会学会、関東社会学会

S先生は、2005年から2010年までではフェニックスを含む14名の先天性心疾患患者にヒアリングをされたそうです。フェニックスも2時間弱くらい話をさせていただき、先生と10人以上の大学生・大学院生に聞いていただきました。このような機会は初めてでしたが、大学で社会学を研究されている方々からも先天性心疾患者について興味を持っていただくことは、患者にとっても嬉しく感じました。


S先生方のアウトプットの1つに、社会志林(法政大の論文冊子)への論文があるそうで、後日、該当部分を送っていただきました。そこからいくつかご紹介します。

◇先天性心疾患とともに生きる人々の生活史と社会生活~成人への移行過程において直面する諸問題を中心として~ (2010年9月発行)

・成人となって、とりわけ「体調面での変化」を経験した心疾患者だちは、現在から未来へと進んでいく「時間」の受け止め方、時間的な経験の形において、特徴的な傾向を持っているように思われるのである。

・それを強く感じるのは、インタビューの中で、次のような二つの「語り方」に出会う時である。ひとつは、「体力的に落ちている」という語り方。(中略) もうひとつは「いつ何が起こるか分からない」「これからどうなるか分からない」という「見通し」の成り立ちの難しさを強調する語りである。

・先天性心疾患者へのインタビューにおいて強く感じさせられたことは、それぞれにバランスを異にしながらも、「予測可能性」や「展望可能性」がうまく確保されない状況を、彼ら/彼女らが生き続けているとうことである。

・「予測可能性」の成り立ち難さが最も際立った形で表れてくるのは、「不整脈」の発作に関する語り口においてである。(中略) 他方、「展望不可能性」を語る言葉は、「先行例がない」という形で示されることが多い。


◇生活史上の出来事としての再手術~フォンタン術後を生きる二人の先天性心疾患者の語りから~(2014年9月発行)

・個々の患者は、身体的な影響の水準だけではなく、自分自身の”暮らし”に及ぼす効果をも含めて、外科的介入に伴うリスクと負担を引き受け、同時にその成果を強く期待しながら再手術に臨む。
 そこには体調の改善だけではなく、それぞれが生きている物語の継続が賭けられている。医療技術は、個々の生活の文脈の中で、その人の「生活史上の作業」を支援するものとして提供されなければならない。

・フォンタン変換という新たな技術は、先天性心疾患者の生活を、良好な状態で長く存続されることを可能にするものとして導入されている。
 しかし、その技術の適用がそれぞれの人の生活史の継続を支えるものとなりうるかどうか。それを見極めるためには、一人ひとりが生きている「物語」と「共に考える」ことが求められている。


引用が少し長くなってしまいました。ただ、フェニックスがそれまでに何となく考えていたことや感じていたことがはっきりと書き表され、同時に他の心疾患者も似たように思っていたことを、改めて認識できてよかったです。

これからも先天性心疾患について、社会学者など医療以外の分野の方々にも関心の輪を少しでも広げていければと思います。

それでは、また。 引用元のURL: http://ameblo.jp/fenix1976/entry-12156715380.html